| 要旨トップ | 目次 | 日本生態学会第58回全国大会 (2011年3月,札幌) 講演要旨


一般講演(口頭発表) C1-13

奥日光の湿原域の消失速度

千葉幸弘(森林総研)

戦場ヶ原を中心とする奥日光地域を対象に、1952年以降の土地被覆区分、気象や植生に関する自然環境に関する情報、周辺市町村の人口推移や経済指標、道路建設等を含めた社会生活基盤に関する情報、国立公園への入園者数、狩猟頭数などの情報を収集し、対象ランドスケープの変動を分析しており、湿原面積の変化とその要因を中心に取りまとめた。

ラムサール条約登録湿地となった2005年時点の奥日光湿原面積は260.1haである。本研究で得た土地被覆区分では、1952年の244haから、2000年には144haに減少した。ある程度まで湿原面積が縮小すると、乾燥化が加速して数十年で湿原が消失する可能性もある。その原因として気候変動に伴う乾燥化を指摘する報告もあるが、気象データからはそうした傾向は認められない。ただ、降水パターンには1960年代以降やや特徴的傾向が見られた。年降水量は2200mm前後で推移するが、日最大降水量は増加傾向にあり、10年ごとに300〜500mmを記録する年が出現した。

戦場ヶ原および小田代ヶ原は湯川を中心とする集水域にあり、その集水面積51km2および年平均降水量2248mmから湯川の平均流量を推定すると1.3m3/sとなる。しかし日降水量から類推すると流量はその数十倍に及ぶこともあり、短時間雨量の増加は上流あるいは上部山地から湿原域への土砂供給を促進するであろう。特に小田代ヶ原の上部では、1950年代から1960年代にかけて40ha以上の皆伐の後、10年以上に及ぶ放置状態が継続していたことが小田代ヶ原の減少を加速したと考えられる。奥日光での戦後の農地開拓、植林、道路整備等は湿原の消長に直接関与するとは考えにくいが、それに付随して設置された排水溝は湿原減少に少なからず影響したであろう。


日本生態学会