| 要旨トップ | 目次 | 日本生態学会第59回全国大会 (2012年3月,大津) 講演要旨
ESJ59/EAFES5 Abstract


一般講演(ポスター発表) P2-030J (Poster presentation)

八幡平赤川湿原付近における過去約1万年間の植生史

*池田重人,大丸裕武

八幡平地域の赤川湿原(仮称)で花粉分析を行い、約1万年間の植生史を明らかにした。赤川湿原は八幡平地域に分布する亜高山帯針葉樹林の中央部にあるため、この地域の亜高山帯域における植生変遷過程を把握するのに好適である。これまで八幡平地域で1万年前以上まで遡る花粉分析結果が示されているのは、亜高山帯針葉樹林と山地帯ブナ林の境界付近に位置する栗木ヶ原(守田1990)だけであり、これと対比しながら亜高山帯域における後氷期の連続した植生変遷過程を示す。赤川湿原は八幡平と岩手山のほぼ中間にあり、嶮岨森の東方約1kmの緩斜面に広がっている。湿原は亜高山帯下部の標高1120m付近に位置し、周辺の植生はオオシラビソが優占しており、キタゴヨウ、ダケカンバ等が混生している。花粉分析試料は、湿原の北および東の2箇所で採取した。採取した堆積物試料は、主として泥炭および有機質粘土であった。北地点では480cmの堆積物試料を採取した。試料中の深さ40cm付近に十和田aテフラ(To-a: 915AD)が挟在しており、深さ320~330cmの放射性炭素年代は10400±200yBPであった。東地点では242cmの堆積物試料を採取した。試料中の深さ60cm付近にTo-aテフラが挟在しており、深さ170~180cmの放射性炭素年代は7230±100yBPであった。花粉分析の結果、周辺の植生は、カバノキ属が圧倒的に優勢な時代から、コナラ亜属が次第に増加する時期を経て、ブナ・コナラ亜属が優勢な時代、針葉樹が優勢な時代へと変化していた。その中で、モミ属の花粉はTo-a降下以降に増加するという傾向は栗木ヶ原と同様であったが、赤川湿原ではごく低率ながら最下部から連続して検出されたのに対して、栗木ヶ原ではTo-aより下部では7500年前頃まで全く検出されない点で異なっていた。また、栗木ヶ原では最下層でトウヒ属を主とする亜寒帯針葉樹が優勢であるのに対して、赤川湿原ではそうした時代は認められなかった。


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