| 要旨トップ | 目次 | | 日本生態学会第62回全国大会 (2015年3月、鹿児島) 講演要旨 ESJ62 Abstract |
一般講演(ポスター発表) PB2-227 (Poster presentation)
近年、里山の管理放棄に伴う里山の荒廃、生物多様性の減少、鳥獣害被害が注目を集めている。生態学会では毎年里山に関する集会が開かれ、研究発表も多い。一方で、その里山を管理する主体である集落の構造についてはほとんど注目されていない。国会では「地方創生」が取り上げられるようになり、地方の集落維持は全国的な問題となっている。集落維持が里山の再生に不可欠であることは言うまでもない。
里山を有する中山間地域では、過疎化高齢化により人口減少が進んでいる。過疎化高齢化の理由としてよく挙げられるのは、都市への人口流出である。では、都市への人口流出はいつから始まったのであろうか。それに伴い、集落の社会構造はどのように変化したのだろうか。
そこで、本研究では、高度経済成長期前後の集落の社会構造の違いを明らかにすることを目的として、新潟県十日町市松之山下川手集落でインタビュー調査を行なった。下川手集落は昭和34年には84世帯が住んでいたが、平成27年1月現在、世帯数は30まで減っている典型的な過疎化高齢化集落である。演者は全30世帯を回り、各世帯の生業、兄弟や子どもの現在の居住地、兄弟や子どもが集落から離れた時期、その理由などを伺った。十日町市役所からご提供いただいた集落ごとの人口変遷のデータ、集落誌である「松口澤口三桶誌」、集落の方からご提供いただいた昭和38年と昭和55年の下川手集落居住者名簿も参考にした。
インタビュー調査の結果、都市への人口流出は高度経済成長期のはるか前から始まっていたことが明らかになった。その理由は「家を継ぐ長男以外は家を出て、外で働く」という田舎独特の慣習であった。今後、インタビュー調査の結果をさらに分析し、できる限り古い時代からの社会構造の変遷を明らかにしたいと考えている。