| 要旨トップ | 本企画の概要 | 日本生態学会第65回全国大会 (2018年3月、札幌) 講演要旨
ESJ65 Abstract


シンポジウム S10-4  (Presentation in Symposium)

統計学のコペルニクス的転回:集団的思考を禁じるものはなにもない

*森元良太(北海道医療大学)

 生物学研究でデータを統計解析にかけるとき、違和感なく結論を引き出せているだろうか。後ろめたさを感じたことはないだろうか。それに対し、物理学で運動法則を用いて物体の軌道を計算する際、統計解析のときのような違和感や後ろめたさはあまり味わわないだろう。この違いは何だろうか。本発表では、統計を使う理由、および統計を使うときの思考の枠組みに注目してこの違いを検討する。
 そもそもなぜ統計を用いなければならないのか。運動法則を使った計算で違和感を覚えない理由の一つは、その計算の論理が演繹だからである。一方、統計解析の論理は演繹ではなく、帰納である。演繹は前提が正しければ、必ず正しい結論を引き出せるが、帰納はそうではない。それゆえ統計を用いる限り、正しくデータを集めたとしても、正しい結論を引き出せるわけではない。統計を用いるとき、この点を認識する必要がある。
 また、統計解析は、運動法則による計算とは考える枠組みが根本的に異なる。統計学では思考の枠組みに大きな変革が生じたため、統計ユーザーはこの変化に対応しなければならない。この革命の先駆をなしたのはチャールズ・ダーウィンであり、精緻化したのはフランシス・ゴールトンである。ダーウィンの偉業は「集団的思考」と称され、集団現象の説明に新たな枠組みを導入した。ゴールトンは、いわゆる「正規分布」によって集団現象を数学的に説明しようとした。
 コペルニクスはかつて「地球の可動性を禁止するものはなにもない」と述べ、天動説から地動説へと思考の枠組みを変化させた。これにより、世界の見方に大きな革命がもたらされた。ゴールトン以降、現代統計学の思考の枠組みはそれまでと大きく変った。統計学の革命はおそらく現在進行中である。統計解析の違和感を払拭するには、集団的思考という新たな枠組みへ思考を切り替える必要があるだろう。


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