| 要旨トップ | 目次 | 日本生態学会第66回全国大会 (2019年3月、神戸) 講演要旨
ESJ66 Abstract


一般講演(ポスター発表) P2-050  (Poster presentation)

明治初期の滋賀県全域における里山利用の復元
Restoring the utilization of SATOYAMA of early Meiji period throughout Shiga prefecture

*林珠乃(龍谷大学理工学部)
*Tamano HAYASHI(Ryukoku Univ.)

 近年、里山や里湖等に存在する自然資源の過少利用が問題となっており、自然資源を生活や産業に再び組み込む必要性が指摘されている。そのためには、かつてあった人と身近な自然との繋がりを理解することが大切である。これまで、特定の小地域に焦点を絞り、地域の伝統的な自然資源利用を明らかにする研究が行われてきたが、他地域との比較や広域での空間解析が難しいといった課題があった。そこで、里山および里湖の自然資源利用を広域で復原することを目的に研究を行った。
 『滋賀県物産誌』は、明治11(1878)年の滋賀県下の人口・土地利用・産業等が記載された資料である。当時、滋賀県下の13郡には1,397の町村があり、各町村について生業の内訳や山林の状況、産品の産出量や出荷先について詳細に記述されている。『滋賀県物産誌』から、里山や里湖の資源利用に関する記述を抽出し、町村界ポリゴンデータに各情報をあてはめて作図した。
 薪・炭・材木の産出について地図で要約した結果、山林を所有し山林の利用等が記載されている町村のうち96%が薪を採集していたことが明らかになった。対照的に、炭や材木は山間部の町村で多く生産されていた。生産された薪・炭・材木は主に県下の下流域に位置する人口密集地に販売されていた。山間部の町村は雁皮・栢実・薬草等の多様な特用林産物を生産していた。これらの産物は他府県の加工地に販売される傾向があり、より広域の経済システムに組み込まれていたことが明らかになった。琵琶湖では、多様な魚類だけでなく水鳥類も狩猟され販売されていた。さらに藻草や藻泥が農耕用の肥料として採集されていたが、藻取りは湖の西岸に面した町村ではほとんど行われていなかった。
 以上のように、明治初期の滋賀県では、多様な方法で自然が活用されていたこと、自然資源利用には地形の影響が見られること、大小の経済システムの中で自然が利用されていたことが明らかになった。


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