ESJ56 一般講演(口頭発表) N2-08
水幡正蔵(在野の研究者)
アリストテレス以来、生物を人間が区別するための「唯名論的種定義」が続いてきた。これはE.マイアの「生物学的種定義」で否定されたものの、「唯名論的種定義」を前提としたダーウィン自然選択説は、今も否定されていない。これは生物学者の怠慢以外の何ものでもない。「生物学的種」とは、言い換えれば「種=交配共同体」ということである。そして交配共同体とは「交配上のルールが同じ生物共同体」である。これは種単位の社会である「種社会」(今西錦司)に等しい。ここに「種=交配共同体=種社会」という「科学的種定義」が成立する。この「科学的種定義」を行うと、それぞれの「種社会」を形成する「種言語」、「種文化」という新概念が登場する。これまでの「唯名論的種定義」を前提とした世界観では、人間のみに社会・言語・文化があるという考え方であった。ところが「科学的種定義」がなされると、「種言語」「種文化」も、それに対応して「科学的定義」が求められる。
まず「科学的種言語」とは「交配共同体を構成する個体間のコミュニケーション手段」ということで、交配時における♂♀間の鍵刺激をはじめ、様々な種固有の鍵刺激が「種言語」と定義できる。これまで人間にしかないとされてきた「言語」とは、名詞、動詞、形容詞等をつなぐ文法構造を持った「種言語」である。このヒト種に特有な「種言語」については「文法言語」と呼ぶことにする。言語がヒト種特有ではなく、文法言語がヒト種特有なのである。次に「科学的種文化」とは、「種言語でなされる共同的生活形態(捕食形態・交配形態・子育て形態等々)」となる。この「種文化」は、習得的鍵刺激を持つ種社会内では、必ずしも一律ではない。