ESJ58 一般講演(ポスタ-発表) P2-039
伊村智(極地研)
南極昭和基地周辺の露岩域には、氷河によって削られた岩盤のくぼみに夏期の氷雪の融水が溜まって出来た湖沼が点在している。一年のほとんどは氷に覆われ、夏期の1ヶ月半ほど解氷して湖面が現れることが多い。これらの南極湖沼群は幅広い塩分濃度を示すが、多くは淡水で栄養塩類に乏しい貧栄養湖である。水柱はプランクトンに乏しく、わずかに微小な藍藻類が存在する。一方湖底は、藍藻、珪藻、緑藻、バクテリアなどからなるマットに覆われ、そこに水生のコケ植物が混在していることが多い。これらの植物群落中に、センチュウ、ワムシ、クマムシ、繊毛虫等の微小動物が生息する。湖沼周辺の露岩域は寒地荒原となっており、わずかな雪解け水の得られる場所にコケ類、地衣類、藻類が見られる程度であることに比較して、南極湖沼生態系は多様で大きな生物量を持つといえる。また、南極湖沼生態系の生物相は周辺の陸上露岩域から流入したものに起源を持つとされ、陸上生態系のサブセットと考えられてきた。ところが近年の分子系統学的解析の進展により、湖沼と周辺の陸上では、生物種の構成に大きな隔たりがあることが分かってきている。
低温、貧栄養、一年の大半が低照度という南極湖沼にあって、このように豊かで独自性の高い生態系が存在する理由の一つとして、水生のコケの作る植生構造である「コケボウズ」が注目されている。これは、密集したコケ植物のシュ-トが、高さ80cm、直径30cmにもなる安定した塔状の構造をなすもので、水深2-7mの湖底に林立している。表面には光合成活性の高いコケと好気的なバクテリア群、内部には嫌気的なバクテリア群が生育し、強力な酸化還元勾配を形作っている。この勾配に沿って、窒素や硫黄などを受け渡しつつエネルギ-を生産するバクテリアのネットワ-クが明らかになってきた。昭和基地周辺の南極湖沼生態系の豊かさは、この地域の湖沼に分布するコケ植物が支えている可能性がある。