ESJ58 大島賞受賞記念講演 3
西廣 淳 (東京大学大学院農学生命科学研究科)
近年、生物多様性保全と生態系修復が社会的課題として認識されるようになった。しかし、生物多様性のあまりにも急速な衰退に対して、有効な対策の立案に必要な生態学的知見は不足している。このギャップを埋めるには、生態学の最新成果をすみやかに現場に反映させるとともに、保全や自然再生の実践の現場を検証実験のフィールドとして活用して研究を進める、両方向の努力が重要である。私はこれまで霞ヶ浦(茨城県)を主なフィールドとして、湖沼沿岸域の湿生植物を対象に、種子生産の制限要因の研究や種子発芽と実生定着の条件に関する研究を行い、その成果に基づく保全・再生手法を提案し、実際に行われた自然再生事業を活用した生態学的研究を行ってきた。
一般に、種子発芽の場所とタイミングは適応度に大きく影響するため、発芽特性には強い自然淘汰を通した適応が生じる。霞ヶ浦湖岸に残存する植生帯に典型的な39種の植物を対象にした分析から、これらの植物のほとんどが、春先に低下し秋には上昇するというかつての霞ヶ浦の水位季節変動に適応した性質をもつことが示された。現在の霞ヶ浦では、利水と治水を目的とした水位操作のため、過去とは季節的に逆転した水位変動が生じている。この水位管理は湖岸の植物に不適応を生じさせ、湖岸植生における種多様性の低下の主要な原因の一つとなっていることが示された。また得られた結果を活用し、湖の水位管理方針の変更が湖岸の植物に及ぼす影響を予測する単純なモデルを提案した。
湖岸の湿地植生の喪失原因として水位操作と並んで重要なのは、人工護岸化等に伴う湖岸地形の変化である。霞ヶ浦では、湖岸地形を修復し湖岸植生が成立する場所そのものを再生させる事業が行われた。この事業では、湖底堆積土砂中の土壌シードバンクを活用して種多様性の高い植生を再生させる手法を提案するとともに、その現場を活用した研究を行った。その結果、地上植生から消失して約30年が経過した種でもシードバンクが残存している場合があることを確認するとともに、今後の自然再生の目標となる水生・湿生植物の発芽定着適地に関して多くの知見を得ることができた。
湖沼の環境改変が大幅・急速に進む中で、多くの在来植物が新たな環境に適応する時間もなく消失しつつある。植生の一部や土壌シードバンクが残存しているうちに、それらから本来の生活史戦略を学び、管理に反映させる努力が必要である。