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2011年5月発行ニュースレター (No.24) 掲載
大手信人(大会企画委員会前委員長)
最初に、この度の東北関東大震災に被災された方々に心からお見舞い申し上げます。また、大切な肉親や友人を亡くされた方々には衷心よりお悔やみ申し上げます。 札幌大会も、地震によって集会や講演が中断され、大会終了後、東北、関東地方からの参加者の帰路が断たれるという不測の事態に見舞われました。そうした状況の中で、プログラムを最後まで実施させていただき、全日程を全うできましたことは、ひとえに参加会員の皆さんの理解と、現地実行委員会の皆さんのご努力によるものでした。こころからお礼申し上げたいと思います。
今大会は、まだ本格的な雪もふる寒い時期の札幌での開催でした。それにも関わらず、史上最大であった東京大会に匹敵する数の参加者の方々が、つるつる滑る東札幌からの道を通ってくださいました。参加者総数2117人。岩手大会から数えて3大会連続で参加者数が2000人を超えました。近年、多くの大学で大学院生数の減少の話を耳にすることが多くなり、研究者を目指す学生がこれから減っていくのかとの危惧は、私ばかりではないとは思います。しかし、生態学会の大会の活気は我々にひとまずの安心感を与えてくれるに十分なものではなかったかと思います。会場となった札幌コンベンションセンターは、口頭発表の会場、ポスター会場、大ホール、休憩スペースなど、どれも非の打ち所のない設備でした。会場費等に適切な予算が確保されるかどうか、非常に難しい判断が必要な参加費設定など、実行委員会の方々が極めて綿密な計画をたてられていたことが、参加者の出足が読めた3日目くらいの時点で実感されました。
大会の準備は、第52回の大阪大会以降、開催地区が組織する大会実行委員会と学会の常設委員会である大会企画委員会が連携し合って進めてきました。前々企画委員長の宮竹貴久さんがいわれたように、この二つのグループの連携は、まさに車の両輪であり、いまや、この大規模な大会を組織するに不可欠なシステムといえるものです。札幌大会では、原登志彦大会会長、齊藤隆実行委員長のもと総勢41人体制の実行委員会と52人体制の企画委員会によって、準備が進められました。企画委員会は昨年同様、登録受付、プログラム及び要旨集の編集・印刷など担当する運営部会(部会長: 鈴木まほろさん)、シンポジウムのコーディネート業務、各種集会の会 場割り振りなどを担当するシンポジウム部会(部会長: 隅田洋明さん)、口頭発表の順序と会場決め、プログラムの編成などを担当する発表編成部会(部会長: 久保拓弥さん)、ポスター講演の割り振り、ポスター賞審査の段取りなどを担当するポスター部会(部会長: 関剛さん)の4部会で編成されました。東京大会の初日、大会企画委員会での議論と打ち合わせを起点に、札幌大会の準備が始まりました。経験の豊富な部会長の皆さんの的確な指揮のもとで、全体として大きな滞りはなく順調に各パートの準備が進められました。
前回、東京大会の準備期間中、委員長見習いとしての私は、飛び交うおびただしい量のメールと交わされる議論の密度に怖じ気づき、本当に自分が来年度役に立つのだろうかと、東京大会が終わるころには、全くの自信喪失状態に陥っていました。しかしながら、この4部会制の企画委員会の構造は極めて機能的で計算され尽くしたものであることが走り出して実感されました。この機能はいうまでもなく、部会長の皆さんの責任感と経験に裏打ちされた指揮によって活用され、円滑に準備が進められるのでした。
運営部会のプログラム、要旨編集は、企画委員会と生態学会事務局との連携のもとで行われます。事務局で長年にわたってプログラム・要旨編集に尽力されていた遊磨美由紀さんに代わって、前回東京大会でノウハウを引き継がれた鈴木まほろさんが、今大会運営部会長として、今度は事務局で新しく任に就かれた橋口陽子さんに編集手順を引き継いでいくという中での準備でした。今回が2年目となりますが、冊子体要旨集の参加者全員への配布は行わず、別売りとすることにしました。これに対しては、会員の皆さんから配布復活の要望はいただきませんでしたが、一方で、402人の方が冊子体要旨集を購入されており、依然として需要があることが今年も示される結果となりました。
参加する皆さんが、参加登録や要旨原稿、発表ファイルの登録をするwebサイトの運営と維持管理は、オンライン担当の竹中明夫さんが、これまでほとんど一手に引き受けておられます。専門業者に外注することなく、ここまで高度な学会用のオンライン処理システムができあがっていることは驚くべきことで、企画委員会の体制が始動してから、毎年の竹中さんのご苦労には、ただただ頭がさがるというほかありません。
さて、皆さん、大会の諸登録のサイトにある、 「締め切り厳守をお願いする理由」 のページをご覧になったことがありますでしょうか。ここに書かれていることは、一見リジッドすぎるかに見えますが、考えてみれば極めて普通のことばかりです。大学4回生のころ、はじめて学会発表をしようという段になって、指導教員の先生から「早めにみせにこいよ」といわれて頑張ったときのことを思い出していただければよいかと思います。大会が会員による全くのボランティアベースで準備されていることを毎年思い出していただき、「早めの準備でみんな幸せに」なっていただきたいと思います。
今大会の集会は、シンポジウム16件、フォーラム3件、企画集会24件と盛りだくさんな内容でした。シンポジウムの内1件には生態学会から、海外からの講演者招聘のための助成金が出されました。また、今大会は、北海道支部からも海外からの研究者の招聘の助成がされました。シンポジウム部会の作業のなかでもっとも気を配られたことは、すべての会場について収容人数がほぼ同人数になるようにすることでした。これは、会場間で収容人数のばらつきがあると,シンポ部会がプログラム作成段階で各集会を各会場に割り当てる際も、プログラム編成部会が口頭発表のセッションを各会場に割り当てる際も、判断が非常に煩雑かつ困難になるからです。こうした検討以前に、会場決定直後から、前大会の状況から、必要会場の規模や部屋数を推定し、確保しなければならないという作業が最初にあります。これには,現地の実行委員会と企画委員会シンポ部会との綿密な情報交換が必要となります。今大会の場合、シンポ部会長である隅田さんは、実行委員会のメンバーでもありましたから、この連携はスムーズでした。
ポスターセッションも、非常に多くの発表が集まりました。エントリーの総数は1020件で、東京大会に次ぐ件数でした。しかしながら、今大会、ポスターセッションの会場が十分に広く、パネルの配置も実行委員会の方々のアイディアが活かされ、これまでの大会に比べ、かなり快適なセッションになっていたのではないかと思います。ポスター賞への応募は503件で、ことしも129人に昇る審査員の方々のご協力によって、審査がなされました。結果、48題に優秀賞、16題に最優秀賞が授与されました。また、今大会でも高校生が参加するポスターセッションも行われ、20題の発表がありました。ポスター賞の審査が行われるようになって以降、応募件数は増え続け、東京大会でピークになりましたが、ポスター部会にとっての最大の課題は、審査員の選定と依頼、当日の審査結果の迅速な集計と受賞者の決定でした。自分の発表がある時間帯に審査を依頼することがないようにしなければならないし、当日、審査の時間帯にちゃんと会場に来ていただけるようにリマインドもしなければなりません。また、前回大会までは、表彰式をセッションがあった日ごとに夕方行っていましたが、これによってその日のセッションの審査結果の集計に時間がなくて、とても大変になるといったような苦労がありました。今大会では、表彰式をポスター最終日の夕方にまとめてやることにし、審査結果の集計の時間に比較的余裕をもたせることができました。これによってエラーもなく、表彰を終えることができました。
口頭発表のプログラム編成を行う発表編成部会は、準備の初期の段階で分野分けの再編の議論を行いましたが、この問題は、ポスター発表と関連するので、ある程度時間をかけた議論が必要との判断で、今大会では見送られました。今大会部会長の久保拓弥さんのご尽力で、エントリーされた発表のプログラミングは、部会のメンバーそれぞれがwebベースのオンラインでできるようになっており、作業は格段に省力化されました。
以上のような企画委員会各部会の活動は、先にも書きましたように、第52回大阪大会から始まった、実行委員会+大会企画委員会連携体制によってはじめて実現したものです。この体制作りを指揮し、大阪大会から2大会連続で企画委員長を務められたのが難波利幸先生でした。難波先生はこの後も大会運営に継続して貢献され、この札幌大会で日本生態学会功労賞を受賞されました。このことは、我々大会企画委員会のメンバーにとってはとても嬉しいことですし、今後の励みになることです。
大会は、参加者の皆さん、実行委員会の皆さん、企画委員会の皆さんのおかげで成功裏に全日程を終了することができました。しかしながら、今後大会運営に向けての課題もいくつか残りました。
大会企画委員会としての課題をまず挙げさせていただきます。枠組みとしての部会ごとの役割分担は、毎年少しずつの変更はあるものの、非常にコンシステントなものとして確立してきたのではないかと思われます。しかしながら、仕事内容の引き継ぎがこれまで、委員長、部会長個々人に任されていて、人によっての濃淡が出てしまうことが問題ではなかったかと考えています。部会ごとのマニュアルを作って、企画委員会全体として情報共有できるようにしなければと思います。企画委員会では、web上に専用のwikiを開いていただいていて、そこで委員は情報を共有できるようになっていますが、ここにマニュアルを整備していく必要があると思っています。また、各部会の1年間の活動スケジュールがいつでも確認できるようなカレンダーも、ここか、Google calendarなどを活用して持っておく必要があるかと思います。各部会がいつ何をすべきか、事前のリマインダーが出せるようなスケジューラーだとさらに良いのではないかと考えています。
こうしたことは、大会準備、運営のノウハウを持続的に活用していくための方策といえます。その意味では、もう一つ重要な検討事項があります。現在、大会準備に利用されている学会のサーバ、オンラインシステムの管理などの業務は、企画委員の竹中さん、久保さんのお二人に頼るところが大きく、ご負担は計りしれません。次期からはこうした仕事を担っていただける有志の方、2人に加わっていただけることになっています。こうしたシステムの維持管理のサステナビリティも常に念頭に置いておかなければならないと感じました。
大会の参加者にとっては、本番までにいくつかの締め切りがあり、ここ数年の締め切り厳守の徹底は他の学会などに比べると、驚くべきことのように思います。これは、ひとえにこれまでの企画委員会の方々のご努力と、会員の心がけの賜といえますが、一方で、一時のエラーで、よりよい発表のチャンスを奪うようなことにならないようにしなければという気持ちもあります。今大会、口頭発表用ファイルの事前受付を例年通り実施しましたが、それに遅れた参加者が全体の1割程度おられました。締め切りに遅れた場合、発表ができない旨、先に配布されていたプログラムの注意事項には書かれていましたが、実行委員長の齊藤さんと私の判断で、問い合わせのあった方達にはパソコンとプロジェクターは使用できないが、配付資料などを使って発表ができる旨連絡しました。しかし、この時点で、発表をあきらめキャンセルされる方が何人かおられました。これ以外でも、どの締め切りについても同様ですが、リマインドを徹底して行うことと、発表ファイルの登録方法については再検討も必要ではないかと思いました。
すでに、大会企画委員会は、榎木勉委員長のもと、次期大津大会に向けて始動しています。実行委員会は関西支部の皆さんを中心に組織されています。今度の大会の目玉はThe 5th EAFES(East Asian Federation of Ecological Societies) congressと合同大会であるということです。これは目玉であると同時に、企画委員会、実行委員会にとっては非常に難題であると言わざるをえません。昨年、一昨年のノウハウだけでは準備ができないからです。札幌大会の期間中にも、何度となく大津大会企画委員の何人かの皆さんと次期の体制作りについて議論しました。
また、札幌大会期間中、将来計画専門委員会から提案されて、全国委員会で承認された、大会の国際化の方針に沿い、大津大会では手始めに、ポスター賞応募の条件として英語発表を義務づけることになりました。このことばかりでなく、EAFESとの合同大会のためには、通常大会でなされていないプログラムの英文化や、種々のwebサイトの英文化など、新規の課題が多くあります。しかしながら、これらのことは、いずれ通らなければならない路であって、次期大会を乗り切ることで国際的に開かれた学会に脱皮できる一つのチャンスであると思います。
委員長を務めせていただいて、最後に思ったのは、これでやっと次の回なら、まともな委員長を務められるのではないかということでした。私の力量不足は、企画委員会の皆さんと、斎藤さんが率いられた実行委員会の皆さんによって完璧にカバーされ、大会は成功裏に終わりました。せめてもの罪滅ぼしに、私はもう一年委員会に残って、なにかの役に立ちたいと考えています。
最後に、地震発生時に的確な判断をされ、大会終了時には帰宅困難になった参加者のために手厚い配慮をしてくださった実行委員会の皆さんに厚く御礼申し上げたいと思います。また、皆さんが震災の困難を乗り越え、すばらしい研究成果を携えて大津の地にお集まりいただけることを心からお祈りいたします。
*以下に、ポスター賞の審査をしてくださった皆さんのお名前を記して、あらためてお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。
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(敬称は略させていただきました。また、この他2名の方が匿名を希望されました)。