幹事長小泉さん名で、学術会議からのアンケートを受けて、日本生態学会でも科学者倫理について取り組みましょうというメールが来た。その内容は1. 学会員個人の行動規範の整備(倫理綱領等の制定)2. 学会組織として対応部局の整備(倫理審査委員会(仮称)の整備)3. 対処マニュアル(審査方法,審査基準,罰則規定などの整備)4. 伝達手段(上記3項目の会員への周知徹底となっている。
このメールはとりあえず、各常任委員に出されたもの。「菊澤会長も早急に対応したほうが良いとの考えで,とりあえず作業部会を立ち上げて,12月の常任委員会では議論ができるようにしようと言うことになりました」とある。自分で早急にと言っておいてなんだが、議論はじっくりやったほうが良いかもしれないな。そもそも、学会員個人の行動規範について、学会がそれを規定することについてはひょっとすると異論があるかもしれない。規範の最強のものは、国の定めた法律であるから、会員がそれに触れた場合は、学会として何らかの対応をすることになるのだろうか。ごく当たり前の議論のように思えるが、数十年前には当たり前ではなかった。警察に逮捕された経験のある人はごろごろいたし、起訴されたり、有罪になった人もいた。(昔の話を掘り返せば、現会長だってアヤシイものである)。自然保護運動は今でこそ市民権を得ているが、やはり何年か前までは、公権力が決定した開発計画に異議を唱えるには、ある種の覚悟を必要とした(今でもそういうことはあると思う)。生態学会会員が法に従順なだけの人ばかりであれば、社会が生態学者に期待する役割のうちの重要な側面、「守るべき自然について、正しい情報や専門家としての意見を発信し、自らも行動すること」についての責任も果たせないのではないか。という気がするが、そんなに大げさに言わなくてもよいのかもしれない。そもそも、常任委員会には、最近、そんなに大上段に振りかぶった議論をする人はおられない。
私の意見はといえば、そういったマニュアル的なものは作っておいたほうが便利だなと思う。実は、不正に当たるのかどうか、判断が難しいようなことも結構あるからです。そもそも、私たちが学んできた「正しい」日本語を「正しく」使えば、そのまま性差別になったりする。「男らしい」とか「女々しい」とかですね。教育というのは「合法的なアカデミックハラスメント」であるかもしれない。学術論文に、引用もせずに他人の文章を引き写せば、盗作になることは解る。学術書でなく、いわゆる「一般書」ではどうなのか。出版社は引用文献をできるだけ減らして欲しがるし、一般読者にとっても長い文献リストはそれほど重要ではないだろう。それで、引用を減らして欲しいという要望がくる。だからといって、勝手に文献名を削ってしまってはよくないだろう。このほか、自分でも、こういうことはどうなのか、と疑問に思うことはいっぱいあるので、なにかマニュアルがあると便利だなと思うわけです。しかし、ここまで書いてきて気づいたのだけれど、こういうのは一般的なことだから、他学会や学術会議、大学などで作られているのじゃないだろうか。(その後、常任委員の難波さんからのメールで「科学者という仕事」(中公新書、酒井邦嘉著)が恰好の書であると教えられた。)
そうすると日本生態学会で独自に議論しなければならないことはといえば、ER,生態誌、保全誌に載った論文に盗用があるのではないかという疑義が出された場合、あるいは逆に盗用された場合にどう対処するか。編集委員会が対処するのか、別の機関を設けるのか。などのことも考えなければなりません。また盗用されないようにする防御方法なんかも議論しておいたほうが良いかもしれない。結局それは、論文を書くということにつきるのかな。講演だけで書かないというのはよくないですね。投稿準備が出来たものについて発表するようにすればよいのだが。
▲今回の挿絵は植物画ということでノウゼンカズラです。国内の樹木の花は色の薄いもの、白いものが多いので、派手なものもよいなと思って、ねらっていた。用事に取り紛れて、なかなかとりかかる機会がなかったのだが、花期が長いのでなんとか手を付けることができた。それでも、画の真ん中の「間が抜けて」いて、タイミングが遅かったことを示している。