先日ようやく、私名義の口座から科研費の補助金を事務局宛に振り込みました。日本生態学会はEcological Researchの刊行助成金と、公開講演会の実行への助成と二つの科研費をいただいています。前に報告したように、これは会長である私あてに振り込まれます。そのための銀行口座を作るいきさつはメッセージの4に紹介しました。今回はその口座に入っている全額を事務局の口座に振り込み、こちらの口座を解約して、その通帳を事務局に送るという仕事です。大したことじゃないけれども、窓口恐怖症の私にとってはなかなかの大仕事を果たしたという気分でした。
雑誌への助成は、確実に刊行されていること、国際的な雑誌であることなどが条件になっています。Ecological Researchは毎年6号ずつ確実に刊行され、しかも、最近号の目次を見て貰えばわかりますが、日本人著者の論文よりも外国人著者のものが多いという傾向が続いています。国際的であるという条件も満たしているわけです。投稿数も多くて、休日を除いて平均すると毎日2編は原稿が投稿されてくるという状況にあります。編集委員長をはじめスタッフのご苦労は大変ですが、そのおかげで円滑な発行が可能になっているわけです。
私事でいえば、某誌に投稿していた論文がようやく印刷になりました。論文を出すのは久しぶりなので、ここ数年の様変わりが珍しい。前の論文は04年のEcological Research,その前は03年さらにその前というと前世紀にさかのぼるということになる。この程度の業績で首にならずに済んでいるのは、学生諸君が私の名前を後ろにつけて論文を出してくれているおかげ。ただし、彼らも別に利他行動を行っているわけではなく、自分の成功度を大きくしようと頑張っているにすぎないのだが。これらも業績にカウントされるので、毎年数編程度は出していることになっていて、大きな顔をしています。
様変わりしたことの一つは別刷り請求というのがほとんど来なくなった。特に、葉書がくることはなくなった。emailでpdf を請求するのが多いが、紙の別刷りウェルカムというのもあった。また日本人で、うちの大学ではこの雑誌は読めないので、という請求もあった。だから請求がないわけではないが、以前のように何十、何百とは来ない。多分、電子ジャーナルで雑誌が読めるとすれば、紙媒体そのものは粗大ごみに近いだろうな。もちろん、紙だとどこででも、どんな姿勢ででも読めるから、紙媒体がなくなることも、別刷り請求がなくなることもないのだろうが。
驚いたことは、多額のお金をとられたことだ。別刷り代金とは別だから、掲載料とでもいうべきものである。考えてみれば、電子化とともに、個人で紙雑誌を講読する人は減る一方だろうなとは容易に想像がつく。出版社としては、その分を執筆者から取り立てるということにならざるを得ないのだろう。雑誌の編集プロセスも完全に電子化されているから、雑誌作りにそれほどお金がかかるわけではないと思うのだが、多数の社員を抱えている出版社としては、無料化というわけにはいかないだろう。そのぶんが著者に来るのか。いままでは「お金がなくても研究はできる」とうそぶいていたけれども、そうもいかなくなってくるようだ。
Ecological Researchは、出版社と契約を結んで、会員数の分はかならず購入しているから、掲載料金を著者からいただくということはない。これは契約なので、紙媒体の雑誌は要らないと言っても、郵送料金程度しか安くはならない。この雑誌は掲載料金はフリーだということで、これから投稿がますます増えるかも知れない(今のところフリーの雑誌は他にも多数あるようだが)。しかしあるとき、会員の方々がフリーであることの仕組みに気づいて、そしてどうかなるというその先が私には恐ろしい。
▲去年はブナが豊作で沢山の実がなりました。今年は林床に稚苗がびっしりと見られます。実の生っている枝は見あたらないようです。