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会長からのメッセージ −その20−

「リサイクル」

 子供の頃はファーブル先生が理想だった。家の回りで、好きな昆虫を観察し、それについて昆虫記のような本を書いて生活する。子供心にも「生活」ということは考えていた。しかし、本を書くのにどれだけのバックグランドの蓄積が必要かということは、もちろん知らなかった。ファーブルのように田舎に住んでいたわけではなく、町のなかで、「自然」といえばお寺の墓地しかなかった。

 大学ではあちこちに連れていってもらって、フィールドワークの見習いを始めた。最初は先輩の手伝いだったが、仕事のスタイルはフィールドでサンプルをとり、研究室に持ち帰って、分析するというものだった。先輩も同僚の院生達も、研究材料は違ったが、スタイルはほぼ同じだった。今度の学会ではこの主題で発表しますが、材料はまだ管ビンの中に入って居るんですよ。などという会話も飛び交っていた。

 このスタイルだと、1。サンプリングは分析に先立つという第1法則によって、ついついサンプルが多くなる。2。フィールドに電話はかからないが、研究室には電話がかかるという第2法則によって、分析は遅れ勝ちとなる。ただし近年は携帯電話の普及で、この法則は変わってくるのだろうか。そして第3法則、サンプリングは狩猟本能をくすぐる楽しい仕事であるが、論文書きは苦しい、によってますますサンプルは溜まり勝ちとなる。

 サンプルといっても要は生物の死骸だからさまざまであり、不定形である。かくして多くの生態学研究室は死骸置き場と化する。たまに整理をしようとすると、それは何年か前に卒業したAさんが海外で採集してきた貴重なものだ。などというものが出てくる。卒業生がそのまま研究室の教員になった場合などは最悪であり、死骸が溜まりに溜まる。火事でも起きないと片づきませんよ。という物騒なジョークを口にする学生も出てくる。

 北海道の林業試験場に就職したとき、研究スタイルを変えた。職場まで歩いて2分であり、家の回りにいっぱいフィールドがあった。5分も歩けば、裏山に雑木林があった。そのようななかで、毎日新しい発見があった。その多くは、単に私が今まで知らなかったことを「発見」したに過ぎなかったが、なかには世界中の誰もがしらない発見もあった。そのような発見を定着させるのに、野帳と鉛筆だけでよかった。意識してスタイルを変えたのではなく、身近なフィールドという条件で自然に変わったのである。職場での仕事では、北海道内のあちこちの場所に調査地を設けて、胸高直径や樹高を測って回るというものだった。こちらは多少の測定器具を必要としたが、スタイルとしては変わらなかった。それでもリタートラップを仕掛けたり、標本木を切り倒すなどするから、サンプルを全くとらないというわけではなかったが、できるだけ早く片づけるようにした。

 大学では測定機器なども揃えることが出来たので、野帳と鉛筆だけでなく、あれこれ測定もしている。でも基本的スタイルは同じで、できるだけフィールドでデータをとることを主にしている。そのうちベルント-ハインリッチが、僕はその日とったデータはその日のうちにグラフに描くようにしているとどこかで書いているのを見た。これあるかな、と思って、学生さんたちにも、そのようにしなさい、と言ったけれども、どうも聞き流されたみたいだ。

 生態学の研究スタイルは身近なフィールドにたびたび往って、できるだけ素早くデータをまとめるというのがよいようだ。そうすると、なにか疑問が生じても、すぐに引き返して、確かめることができる。でも、それは熱帯林などでは出来ないじゃないですか。いや、今は、熱帯であれどこであれフィールドステーションが出来ているから、身近にフィールドがあるという状態で仕事ができるはずです。問題はそれをどう生かすかということでしょう。成功した人を見ていると、現地でできるだけデータ整理までやり、論文草稿まで作り上げている。そうでない人はサンプル持ち帰り型になり、研究室に溜まってしまう。そして、なにかデータに不完全なところを見つけても、引き返すには大変なコストと時間がかかってしまう。

 と書いたものの、やはり生態学を含めて自然史の研究はゴミの山から生まれるというのが正しいのだろうな。とすると、ゴミの整理が問題なのであって、持ち帰ってくるかどうかは、それほど大きなことではないのかも知れない。今回はどうすれば論文を手早くまとめられるかについて述べようと思ったが、無理だったみたいだ。結論は、できるだけゴミは早く整理して、紙屑に変形させましょうというあたりか。

▲メッセージ17に書いた不登旅行から戻ってすぐにM君とFさんの結婚祝賀会に出席した。空港からホテルに直行して1泊した。翌日朝は時間があったので、ホテルの前のお城をスケッチしました。