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会長からのメッセージ −その29−

「仕事一筋」

 この前会議で青木淳一先生と同席させていただいた。青木さんは近著「自然の中の宝探し」を持ってこられていて、皆さんに回覧され、特に自然のなかのいろいろな食べ物のことについて話題にされていた。青木さんは生態学会の先輩会員であり、高名な動物分類学者であり、ササラダニの世界的権威であり、なにより食いしん坊であって、ヘビ、トカゲ、トンボ、セミ、カエルなどなんでも食ってしまうというかたである。大学者であり、大旅行家であり、大食通だから、話題豊富で会食の席でもさまざまな面白いお話をうかがうことができる。それでいてお膳の上をこっそり窺うと、運ばれてきた料理はさっさと片付けておられる。僕も結構大食いでしかも食べるのも早いのだが、それよりまだ早く健啖である。思うに生態学は生物間の関係をあつかう科学であり、結局のところ「食うー食われる」の食物連鎖の鎖環に帰一する。というわけだから、食うことに関心がなければ生態学者は失格なんだろうな。来週は私たちの大学に、我々の年代のものにとっては食うー食われるの食物連鎖を生物群集の基幹に据えるべきだという説を唱えて居られる、いや一部の人には食通として有名らしい、そして多くの人には羽織袴の先生として著名な川那部浩哉先生が来られて、食うことを中心に据えた話をしてくださることになっている。青木さんも川那部さんも同年代であって、この年代の方々には食いしん坊が多いのはどうも食糧難の時代に育ったからなんだろう。それで青木さんはヘビからトンボ、セミにいたるまでなんでも食っていたということである。僕も昔は、マムシの卵をそのまま飲み込んで、一緒にいた留学生(女性ではない。)が「きゃ!」と悲鳴をあげたことがあったが、セミなんかは食わんかったな。

 回覧し終わった青木さんの本は、持って帰るのも面倒だと思われたのだろう。私に下さることとなった。どうも有り難うございました。自然を大事にしましょうといって、葉をちぎることも、虫を採ることも禁じたら、子供は自然に親しまない。自然観察会などで興味深そうにしているのは付き添いの父母で、子供は観察だけだと退屈してしまうという。だから虫を追いかけたり、つかまえて食ってしまったりがよいのだ。これが青木先生の所説である。ところでその本の中に、仕事一筋などという人間は結局仕事もたいしたことは出来ない。と書かれていたのに、「ぐっ」と詰まってしまった。なにしろ僕は人も知る仕事一筋人間であって、ゆとりのない人間だからである。

 階段を見れば駆け上がるというのは、単に衝動というか習性とでもいうべきか、趣味とは言えないだろうな。前回将棋の話を書いたが、将棋が趣味といえるかどうか解らない。何しろほとんど指さないからである。その前は、父親が死ぬ前に何番か指したのを覚えているから、もう数年前である。将棋に比べて囲碁の方は、大人になってから覚えたから、まったくのへぼ碁であるが、下手なだけにそのぶん面白くてよく打っている。いちばん熱心に打ったのは北海道の林業試験場にいたころで、ほとんど毎日昼休みに打っていた。またそれ以外に冬には何回か碁会があった。そこで好成績をあげると昇級昇段する。閉鎖的システムだから、誰か下手な奴が昇級するとそれを足場にしてまた昇段できる。それで僕も四段まで上がった。まあ試験場四段というようなことで、外の碁会所で打つときなどは三段で打っていた。囲碁も将棋と同じころに日本に入ってきたらしい。平安朝の頃にも盛んに打たれたらしく、紫式部や清少納言も打っていたという。織田信長は囲碁を保護するとともに、碁打ちを情報収集などにも利用していた。本能寺で殺される前日も、本因坊日海などという人たちを集めて碁を打たせていた。そのときの碁に三コウができたという伝説もある。彼らが、碁を打ち終わって退出したころ、明智光秀が桂川を渡りかかっていたわけだ。

 北海道にいた頃はスキーも熱心にやっていた。最初は子供達のスキー教室の送り迎えにいっていたのだが、待っている間に、親も、ということでスキー学校に入った。これまた大人になってから覚えたものだから、熱心なわりにはうまくならない。北海道の人は子供のころからやってるから、みんなうまい、とも限らない。なかにおかしなスタイルで滑っている人も居て、あれじゃ転ぶぞ、今に転ぶぞと見ていてもなかなか転ばない。こどもの頃からやっているから、スタイルが良くなくても転ばないのだ。大人になってから覚えた僕のスキーは、きれいな斜面では教えられたとおり滑ることはできるが、へんなところに行くと腰が引けてしまう。自分では「お座敷スキー」と称している。本州に来てからは全くとよいほど滑っていない。北海道にいる頃はプールにもよく行った。スキーとは逆で北海道の人は、子供の頃に川や海で遊んだことがないから、プールで泳いでいる人を見ても、これは大人になってから習った泳ぎだなということがわかる。相当うまく泳いでいる人を見ても解るから不思議である。

 子供の頃によくやっていたのは相撲である。すこし場所があれば出来るので、いつも取っ組み合っていた。前回の相撲の結果を報告しなければならないのだが、また次回に。

▲今回の挿し絵は京都の蔓珠院道。下り坂の正面という図柄は結構難しくて、登り坂のように、あるいは板が立っているかのように見えてしまう。