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会長からのメッセージ −その39−

「熊楠・喜寿・米寿」

 前回も書いたことですが、今日は、日本生態学会にいただく補助金の受け皿作りのために銀行へ新規口座を開いて貰うために行きました。去年もこのことについて書きましたが、今年は、去年ほど長時間を要することはありませんでした。しかし、それでも、去年とは規則が変わっているようで、「日本生態学会」とはどういう団体であるのかについて尋ねられました。それは任意団体であるのか法人であるのか?まだ法人化していないわけだから、任意団体でしょうね。会長が辞めたら会は解散するのか?そんなことはありません。次期会長も決まっております。会から脱退するときは、会の資産の配分を受けるのか?もちろんそういうことはありません。等々、質問されることは「日本生態学会」というのは任意団体というよりも、「法人」としての性格を既に備えているということを浮き彫りにするものでした。つまり法人としての条件を満たしているということでしょうね。ご報告が遅れましたが、54回大会の総会で、公益社団法人への方向を目指すということが認められました。

 総会での議論で、法人のコストという問題も出ました。会計をきっちり整えなければいけない。税金も支払わねばならない。事務局体制もしっかりして、などがコストと考えられる部分である。こういった負の部分もはっきりと会員に伝えておかなければならないのじゃないか、というご指摘でした。実は、このようなコスト部分、例えば税なんかも、法人でなくても問題になりうる部分ではあるのです。ただ今までは、学会活動なんかは、お目こぼしをいただいていたというのが正確なところかもしれません。コトの性質上、あまり正確に書かないほうがよいので・・・

 とりあえず、方向が決まったので、来年に向けて、定款を作る作業が始まります。他の学会のモデルが既にありますので、それほど難しい作業ではないと思いますが、それでなくてさえお忙しい矢原さんに、次期会長、大会開催、そして定款作りなどが押し被さっていくので心配です。どなたか、中心になってやっていただけると有りがたいのですが。ただ、知識と能力の問題があるので、誰でも代わりが務まるというわけにはいかないのが悩みです。というわけで仕事がどんどん忙しい人のところへ集まってしまいます。

 そこへゆくと僕のほうは能力も知識もないので「ひま人」を自称していたのですが、講義の他に実習が始まってみると、結構僕も「忙しい」人になってきました。

 先週の週末は、伊藤嘉昭先生が南方熊楠賞を受賞されたので、その受賞式に参列するために和歌山(田辺)へ行っておりました。人の受賞式に列らなっているなんて、自分としては「我ながらずいぶんひま人だなあ」と思うわけだが、他人からみると、週末はいつも不在だから、相当「忙しい人」だと思われているかも知れない。そのうち私も「忙しくて論文が書けない」と言い出す予定である。そのときは嗤ってやってください。イトウカショウも既に喜寿だそうですが、声には例の調子で張りがあり、耳が遠くなられたぶん、声が大きくて、聞き易い受賞記念講演だった。ただし、「見やすい」講演だったかというと、OHPに工夫がなく、普通の文書をそのままOHPにしてきたようなものである。見る人のことを考えているようには見えない。懇親会の最後に、「伊藤先生のお話をうかがっていると、熊楠というのはこういう人だったのだろうなと思います」とという挨拶があり爆笑を誘っていた。

 その席で、日本生態学会名誉会員の吉良龍夫先生にお目にかかることができました。前回お目にかかったのは50回大会のときだから、4年振りということになりそうだ。米寿とおっしゃっていたから88歳。しかし記憶力も思考力もしっかりしたもので、同じ話を何回も繰り返されるということが一切ない。それどころか、「昔、四手井研に行くと、菊沢さんがいつもお茶をいれてくれました」と私のすっかり忘れていた話までされた。私は、最近書いた論文の話や、これから書こうとしている論文の話を、吉良先生の昔の論文と関連づけてお話した。また、和歌山に行く車中で気が付いた、吉良さんが直感的に導かれた式を理論的に導き出す道筋などもお話したら、「それが解けますか?!」と不思議そうにおっしゃっていた。というわけで、すっかり先生に甘えて、自分の思いつきなどを話すという楽しい時間を過ごさせていただいた。

 その論文に限らず、吉良の論文には、いまだ古典にし得ない論文が少なからずある。そのうち原生林保護の論文は、吾が学会にとって、今でも重要である。この話は次回に。

▲泊めていただいたホテルから300mの距離にある神島(かしまと言うらしい)に案内していただいた。数珠玉にするというハカマカヅラのタネを採集したり、キシュウスゲ、ウラシマソウなどを教えていただいた。