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会長からのメッセージ −その43−

「EAFES3の報告 その1」

 先週はEcoSummitとEAFES3に出席するために、北京に行ってきました。EcoSummitは環境問題を論議するための生態学者の集まりで、今回が第3回という。私たちのEAFESもその構成要素をなしている、といった構造のようです。

 会場は大きなリゾートホテルで、そこで宿泊から、全体会議、研究発表、ポスターなどすべてこなしてしまうということになっている。果たしてばかでかいホテルである。受付を済まして、プログラムをチェックする。明日は挨拶1件、司会2件が割り振られている。さて、研究発表のほうだが。アブストラクト集には私のアブストが載っているのに、プログラムにはないのである。

 で、もう一度レセプションに行って問い合わせてみる。いろいろ調べてくれたが、どうも載せ忘れというか、とりあえず載っていないことが判明。4日目のセッションの最後に私の時間を作ってくれるらしい。プログラムに載らないのでは、誰も聞きに来てはくれないだろうな。今回は発表が主目的ではないからやむを得ないか。

 2日目 エコサミットの開会式に出席した。このホテルはすごい規模で、だだっ広い会場がある。それが一つではなく、2,3あるみたいだ。オープニングセレモニーは数百人、たぶん千人近い規模ではないか。後ろの方に席を占めようとしていたら、韓国のキムさんに見つかり、おまえの席は一番前にあるという。で1番前で、VIPという札をぶら下げられて座っていた。参加者は70カ国以上1300人というから相当盛大である。このエコサミットなるものがかく盛大になってくれば、インテコルの影が薄くなってしまうのではないか。誰しも抱く疑問なので、インテコル会長のジョン・リーさんにぶつけてみた。彼はそうは考えていないみたいで、インテコルはかなり一般的な生態学に関する国際学会であり、エコサミットは環境問題にかなり集中した会議であるという。競争しながらも共存するのが良いのだろう。

 午後からはあらためてEAFESだけのオープニングセレモニーが開かれた。こちらの方は対照的に参加者数十人というこぢんまりとした規模であった。EAFESは2003年に設立され、そのコンファレンスを04年モッポ、06年新潟と開いてきて、今回は第3回である。韓国日本中国と1ラウンドを回ったことになる。第2ラウンドでは新しい仕事としてどんなことに取り組むべきなのか。私は、韓国中国日本だけに限らず、東アジアの新しいメンバーの勧誘、3カ国が主体となっての実際の研究プロジェクトの立ち上げ、そして生態学教育についての協力などが、課題になるだろうということを、最初の挨拶のなかで提起した。

 その後は、EAFESのプレナリーシンポジウム。規模はこぢんまりとしていたがなかなか充実したシンポジウムであった。ただし、私はその司会をおおせつかったので、気楽に楽しむというわけにはいかない。考えてみると、中国の会長は午前のプレナリーで講演、韓国の会長はこのプレナリーで講演されているので、中静さんと大園さんに押しつけて自分でやらなかったのは僕だけである。司会くらいやるのは当然であった。中静さんの話はランビルと阿武隈山におけるそれぞれ大きなプロジェクトの総まとめというか、エッセンスを話されたのでなかなか厚みのある充実したものでした。韓国会長のチョエさんの話はスズメバチにおける役割分業のような話で、巣外でのパルプ採取、蜜採取、および狩りのコスト(時間)を測定して役割分担がどのようになっているかを考察された。そのなかでハナバチに比べてのスズメバチの特徴は個体間の闘争性であり、なぜかくも闘争的であるのかはよく分からないということだった。我々にとっては「生態学」だなあと思えるような内容だったけれども、中国の人にとっては、彼らの「生態学」の範疇からはみ出すような話だったかも知れない。質問がでなかったときのことを考慮して二つほどコメントを用意した。それは測定されているコストがhandling timeであって、search timeのことが入っていないのではないか?ということと、スズメバチが闘争的なのはワーカーにも産卵の可能性があるからではないかということだった。用意したコメントは、幸か不幸か出すことはなかった。司会も単に名前と演題を紹介するだけなら簡単だが、質問を用意したり、そしてその質問を出すことなく流したりしていると疲れが溜まってしまう。大園君の話は、今年の宮地賞の受賞講演の英語版という趣のものであり、よく理解できた。結局、質問を準備してそれが役にたったのはキムさんのときだけだった。それが呼び水になって何人かが手をあげてくれたから無駄ではなかった。

 この後は、EAFESの人たちと、インテコルやエコサミットの中心的な人たちとの会食、十分ご馳走になってから、また会議である。今度は、EAFESの運営会議で、またまた司会を仰せつかった。英語が得意ではないので、こういう会議は出席するだけで疲れるが、司会をするというのはその数倍疲れる。特に懇親会の後に、こういう会議をやるのはよくないね。それでもこの会議では2,3重要なことを議論して決めた。一つは次回のEAFESコンファレンスである。普通なら、2年後つまり09年ということになるが、これはインテコルと重なってしまうので、1年ずらして2010年に韓国で行うことにした。今年は1年早くやったということであるので、これで元に戻ったということになる。その次は、3国共通のプロジェクトで、地球環境変化を長期生態学研究のプロットを使って、同時に、共同で測定するという案がだされた。もちろん研究費がなくては出来ないことなので、それは各国で申請する。ただしこういった話し合いだけではことは進まないので、具体的な実行委員会を作る。メンバーは中静、グイルイ、キムとするというようなことがスムーズに決まった。トレーニングコースなど若手の教育についても議論したが、直ぐに3国共通のトレーニングコースを立ち上げるというところまで話はすすまず、とりあえず、今あるトレーニングコース(これは各国の大学とかが主催されている)ものに積極的にコミットしていって、例えば各国の先生方を講師に依頼したりしながら、課題を成熟させていくということになりました。

 最後に、会員拡大ということなのだが、これは学会連合であるので会員は個人ではなくて各国の学会である。したがって、その国に生態学会がなければ、会員勧誘というわけにはいかない。まずは生態学会を作っていただくようにお願いしなければならない。たまたまインドネシアの方が、会議オブザーバーとして出席されていた。そのかたを通じて、インドネシアの中心的生態学者に連絡をとって、生態学会の設立や参加を要請しよう。考えてみると、この会議にはインドネシアだけでなく、極東ロシアやモンゴルなどさまざまな東アジアの国々が参加されている。この会議中にそういう方々と連絡をとることは可能ではないか?それぞれの国に帰れば日常の業務に埋没して忙しい日々に戻ることになる。チャンスは今日明日しかない。ということになった。終わったのはすでに10時近くになっていた。実に長い1日だった。「ロングデイ」と参加者からねぎらわれたが、本当にお疲れ様でした。