賞というのはどんなものでも貰えると嬉しい。たとえ賞金がなくてもである。それはやはり賞に権威があるからだろう。勿論、多額の賞金は権威の裏付けになる。それ以外にも、歴史があり、すでに何人もの受賞者がでていること。その受賞者がそれ以後も活躍されていること。選考委員会もまた錚々たるメンバーであること。授賞式があり、受賞記念講演会がありパーティがある。聴衆や参加者もまた錚々たる方々である。こういうことはお金を出しても買えないから、「文化」に属することといってよい。「お金で買えないものはない」と豪語した方がおられたが、文化に関することはお金では買えない。
賞を差し上げることはどうか?自分の懐が痛まないかぎりはこれも悪くない。こんな紙切れ1枚でこれほど喜んでいただいてよいのか、と恐縮するほど喜んでいただけるなどは、こちらも実に嬉しくなってしまう。懐がいたまないかぎりは、と言ったが、選考はそれなりに大変で、結構なコストがかかっている。学会関係の賞では、この部分は会員のボランタリーに依存している。少数の方にお願いするのは大変というので、レビュー制度を取り入れることなどが検討されているところだ。
S県が出しておられる賞で「B賞」というのがある。SやBというのは名前を伏せるための処置であるが、誰でも解るだろうと思う。でもあえてこうした理由は後で述べる。今年で、14回目を数えていて、正式には「生態学B賞」という。「水環境やその関連分野での生態学の発展を願い、・・・、広く世界に貢献・・」を目的として設定された賞である。賞金は500万円、宮地賞と比べても10倍以上、生態学会賞と比べれば横8だ。しかも、われわれ生態学会員としてはうれしいことに、「生態学」が頭についている。過去の受賞者は日本人と東アジアの方々が半々だが、日本人受賞者の70%近くは生態学会会員である。生態学会が出す賞に、生態学と付けられていても、それは面白くもおかしくもないが、全く関係のないところがお出しになる賞に、学会がお願いしたわけでもないのに、生態学の名を冠していただいているなんて、うれしく、ありがたいことと言わずしてなんと言えばよいのか。
ところで県も、近年は財政難である。支出はできるだけ削減したい。この賞ひとつを止めてみても、財政難が解消するわけではないが、だからといって存続は無理だろう。なにしろこういうのは目立ちますからね。他のところでは緊縮財政といいながら、こんな道楽をまだ続けているのか、などと言われかねない。というわけで廃止する方向で検討されているということを、担当課長さんが報告に来られた。担当課で論議されているだけで、県の方針として正式に決まったわけではないから、コンフィデンシャル。でも学会とも関係するからイニシャルで書いているというわけです。
せっかく14回を数え、認知度も高まり、世間の支持を受け、また賞金もすでに1億円以上も費やしてきたのに、今止めちゃうのは「もったいない」じゃないですか。別に賞金など要らないから続けたらどうなんだろう。これが僕の意見であったが、たとえ賞金ゼロでも、選考過程、授賞式、記念パーティなどに相当なコストがかかる。
選考過程を日本生態学会が引き受ける。授賞式は県の施設などで簡素に行う。できるだけ簡素にして存続できないか。というのが僕の考えであった。それは上にも書いたように、14回の歴史があり、世間に認知されているものを、いま急に作り出すということは出来ないからである。いくらお金を掛けても、急には出来ない。逆に、歴史を重ねてきたものには、お金がなくなってもそれなりの価値がある。お金を出しても買えないものを「ただ」で貰い受けるというのは実に得なことではないか。選考過程は決して「ただ」ではないが、会員が合意していただければ出来る。
おおよそこういうことを提案し、県の担当者も合意された。といってもこれは私個人と県の担当者との合意であるので、学会員の合意が必要である。(県は県でそれなりの手続きが必要だろう)。今週土曜日に予定している常任委員会で皆さんの意見を聞いてみるつもりである。ただし、日本生態学会にもう一つ別の賞ができるということでは面白くないから、できれば、表彰は知事名で、表彰式も県でやるほうがよい。受賞者は学会員に限る必要もない。学会外の人が受賞するのに、何故学会員が働かなきゃいかんのか?などと度量の狭いことを言う人はいないでしょうな。
▲生態学研究センターにいた頃は月に1度、大津で会議があった。今センターのある上田上ではなく、琵琶湖を挟んだ向かい側、旧臨湖試験所の建物であった。教官会の議長役は中西先生で、会議の後は来月の日程を決める。「さあ皆さん手帳を出して下さい」と言われた。僕だけ手帳を持っていなくて、そこらにあるA4の紙の裏側にもぞもぞと日にちを書いていた。