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シンポジウム S06-2
日本列島の人口は、4つの成長と停滞の波を描いて成長してきた。それには生活様式の変化がともなっており、(1)縄文システム、(2)水稲耕作化システム、(3)経済社会化システム、(4)工業化システムに時代区分されている。このような人口圧と生活様式の変化にともなって、半自然草原の維持をもたらした技術の相対的な重要性もまた変化したであろう。縄文システムでは狩猟や焼畑のための「火入れ」、水稲耕作化システムでは騎馬や役畜の利用のための「放牧」、経済社会化システムでは生物資源利用のための「刈り取り」が、それぞれ半自然草原を維持する機構としてその重要性を増大させたのではないだろうか。
現在日本にまとまってみられる半自然草原は、黒ボク土など火山性の立地条件と分布が大きく重なる。黒ボク土には微粒炭が含まれ、またその形成開始年代は約1万年前以降の後氷期に限られることなどから、その形成には人為的な火入れが関与した可能性が指摘されている。平安初期の「延喜式」には、信濃国などに多くの牧があったことが記されている。このような牧は、東日本の弓射騎兵型武士の軍事力の基盤ともなった。14〜15世紀にはじまったとされる経済社会化による人口増加は、江戸時代の鎖国政策ともあいまって国内での生物資源利用をぎりぎりに近いところまで押しすすめる結果をもたらし、刈敷や厩肥、秣などを利用するための刈り取りによって全国各地で草山化や柴山化が生じた。野焼きは政策的に抑制されたが、なお多くの野火があった。
20世紀には半自然草原が大きく減少した。これは草地の畑地化や外来牧草の導入、牛馬の飼養や採草の衰退、急速な植林や開発など、土地利用が大きく変化したことが原因と考えられる。とはいえ例えば今でも草原性のマルハナバチがみつかる場所は、黒ボク土の分布とよく一致している。こうした場所は長期にわたり草原性生物のレフュジアとなってきた可能性がある。