生物は複雑に変動する自然環境下で生きており、環境に応じて異なる形質を発現する。遺伝型は表現型と一対一に対応しているわけではなく、むしろ「環境に各形質がどう応答するか」を既定する。このような環境応答性もしくは表現型可塑性の理解は、自然環境下での生物の進化生態的動態を解明する上で避けて通れない。なかでも最も理解が進んでいないのが表現型可塑性の進化遺伝基盤、すなわち「表現型可塑性の獲得や喪失が、そもそもどのような遺伝的変化によって実現するのか」という問題である。私は表現型可塑性の能力に地域集団間で変異があるアブラムシとトゲウオ科魚類イトヨをモデルとし、この問題に取り組んでいる。どちらの分類群でも、繁殖形質の日長応答性を喪失した集団は、表現型が決定される最初期に運命決定を担うホルモンの日長応答性を独立に喪失しており、これらの研究成果は『表現型可塑性の進化的変化には、多機能性ホルモン経路の環境応答性の変化が関与する』という分類群を超えた新たな共通理解を、具体性を持って示している。現在、私は既に、イトヨにおいて日長応答性の喪失を引き起こした具体的な遺伝的変異の一部を数十塩基配列レベルで同定しつつある。これは表現型可塑性の進化をもたらす遺伝基盤が自然環境でどのように生まれ、集団内に広まり、維持されるのかを理解する決定的な糸口になる。また、原因遺伝子をゲノム改変することにも成功しており、飼育室内や野外実験池で解析することで、変動する環境下でのその生態的機能を実験的に検証できる。現在、生物多様性や適応進化を理解する為に生態学へゲノム解析技術が急速に導入されているものの、得られた候補遺伝子の変異と適応形質との因果関係を直接証明するためには、候補遺伝子とその変異の機能についての分子生物学・生理学的解析が欠かせない。私は、これらの学際研究により、複雑な自然環境に対して生物が見せる適応のメカニズムを、ゲノム - 生理・発生 - 表現型 - 個体群動態の全階層にわたり包括的、統合的に理解したいと考えている。