| 要旨トップ | 受賞講演 一覧 | 日本生態学会第64回全国大会 (2017年3月、東京) 講演要旨
ESJ64 Abstract


第10回 日本生態学会大島賞受賞記念講演

湿原植物の分布機構:広域的調査と生態生理学的アプローチによる統合的解釈

中村 隆俊(東京農業大学生物産業学部)

 陸域と水域の狭間に発達する湿原生態系は、過湿・貧栄養・酸性といった特殊な環境に適応した特異な植物種群によって構成される。これまで、そうした特殊な環境を反映する変量として地下水位や水質に古くから関心が寄せられ、湿原における様々な植生分布特性とそれら環境変量との対応関係について、欧米を中心に数多く研究が行われてきた。しかし、個々の湿原内での植生・環境変化に基づいた事例的研究が多く、湿原全般にみられる普遍的傾向を視野に入れた取り組みは少なかった。また同時に、湿原植生と環境の相関関係に対して、生理的データ等による裏付けはほとんどなされていなかった。湿原植生の最も基本的な植生区分はフェン(ヨシ-スゲ湿原)とボッグ(ミズゴケ湿原)であるとされており、その分布機構は常に湿原研究における中心的話題となってきた。しかし、こうした背景によりその議論は纏まっておらず、十分な調査データに基づく合理的な説明が不十分であった。演者は、様々な湿原を対象とした横断的調査や優占種の生態生理特性に着目した現地操作実験を行うなど、多数の広域的な調査データと独自の視点を通じて、フェンとボッグの分布機構の解明を目指してきた。
 演者は、北海道全域をカバーする7つの湿原域を対象とした合計200箇所以上の定点調査を通じて、フェンとボッグの違いを最も的確に表現できる環境要因が土壌水のpH環境であることを明らかにした。そして、フェンやボッグに分布する優占種の窒素利用戦略や群落生産性が、窒素環境軸よりもむしろpH環境軸(特に強酸性環境の存在)に対して大きく変化することを明らかにした。さらに、フェン優占種とボッグ優占種の現地相互移植実験を通じて、窒素同化酵素活性を利用した窒素各種の吸収速度を比較し、有機態窒素の吸収しやすさが強酸性環境であるボッグで大きく低下する可能性を明らかにした。すなわち、pH環境の違いによる有機態窒素吸収特性の変化と、それに応じた窒素利用戦略や群落生産性の変化が、フェンとボッグの劇的な植生景観の違いをもたらす基盤メカニズムとなっていることを示唆した。フェンとボッグの分布機構に関する議論において、欧米では基岩成分(Ca, Mg)の影響傾度に対する植生変化が常に重視されてきたが、演者による一連の研究はそうした従来の説明を廃し、より一般的な説明に至る道筋をつけた。


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