| 要旨トップ | 目次 | | 日本生態学会第67回全国大会 (2020年3月、名古屋) 講演要旨 ESJ67 Abstract |
一般講演(ポスター発表) P2-PC-227 (Poster presentation)
岡山県新見市草間・豊永地域は、県中西部の標高400m前後の阿哲台と呼ばれる石灰岩のカルスト台地上に位置し、ヒメユリやウスイロヒョウモンモドキといった希少な動植物が数多く生育・生息する地域である。この地域では、細断したススキや落葉広葉樹の落葉などが露地栽培のブドウやモモの敷草として利用されており、「伝統的」な里地・里山利用が現在も残る地域と考えられている。この地域の里地・里山資源の利用形態の変遷について明らかにするため、明治期以降について地域史料を調査したほか、同地域在住の90~80歳代の方を対象として、昭和初期~現在までの家畜飼育を含む里地・里山利用について聞き取り調査を行った。
水田が少なく、畑作が主体であるこの地域では、江戸期から戦後(昭和50年代)にかけての主要作物であったタバコ畑などの肥料として、「溝ゴエ」と呼んで落葉、厩肥などが投入されていた。それらの里山資源の供給地として、冬に落葉かきを行う場所のほか、「灯台株」と呼ばれる、あがりこ状樹形のアベマキなどの萌芽枝を利用し落葉や草などを束ねる「柴かき」を行っていた場所、秋に草刈りを行う場所、茅葺き用のススキ草地など、多様な利用と管理をされていた場所が存在していた。特にススキ草地は、かつては葺き替えに必要な最低限の面積しか維持されていなかったが、戦後、茅葺家屋の減少によってススキそのものの必要性が低下した結果、タバコ畑へ投入されるようになり、タバコ栽培が衰退したあとも、果樹の敷草として有用であったため、利用が継続されたものと考えられた。
この地域の敷草としてのススキ利用は戦後の比較的新しい時期に始まったものと考えられるが、ある程度落葉利用も継続されていたこと、ススキ利用によって広い意味での草地環境自体が維持された結果、この地域の草原性の動植物はかろうじて今日まで残存してきたものと考えられる。