| 要旨トップ | 目次 | | 日本生態学会第69回全国大会 (2022年3月、福岡) 講演要旨 ESJ69 Abstract |
一般講演(口頭発表) D01-02 (Oral presentation)
安芸厳島神社本殿の背後には,後園と呼ばれる塀で囲まれた禁足地の社叢がある。その社叢の江戸時代初期以降の変遷については,絵図類,写真,文献から,その概要を知ることができる。すなわち,江戸時代から明治期におけるその変遷については,『安芸国厳嶋勝景図附記事』(貝原篤信,1689),『厳島真景図』(海北友雪,17世紀中頃),「厳島八景図」(長澤蘆雪,1794),『厳島図会』(岡田清編,1842)などの絵図類から,また明治後期以降については絵葉書などの写真や社務日誌などからその変遷について知ることができる。
厳島神社付近を描いた絵図類には,実景が正しく描かれていないと思われるものも少なくないが,同時代の図の比較などから図の資料性がある程度確認できるものもある。また,鳥瞰図風に描かれた同神社付近の図は,比較的近くに実際にそのように見える視点があり,実景を描こうとする際には実景を描きやすいと考えられる。一方,文献類としては,社務日誌のほかに社叢の台風被害についても記した論文などもある。
それらの資料や現状の調査から,江戸初期にはその社叢の場所には,ほとんど樹木がなかったこと,その後昭和初頭頃にかけて広葉樹中心の植生に変わったこと,神社本殿に近い所には昭和初頭頃までケヤキが目立つ存在であったこと,江戸時代から昭和初頭頃にかけてスギは中心的な存在ではなかったが,その後スギが中心的樹種となったこと,また1991年9月の強力な台風の被害により倒れてなくなったスギも何本もあるが,その後もスギ中心の植生が続いていることなどが確認できる。
そのようにスギが中心の植生に変わってきた理由として,社務日誌の記述から明治44年(1911)に社叢にスギが植えられた可能性が考えられることがある。一方,その社叢にスギが主体となってきている別の理由の可能性として,その地で自生のスギが成長してきている可能性も考えられる。