| 要旨トップ | 目次 | | 日本生態学会第72回全国大会 (2025年3月、札幌) 講演要旨 ESJ72 Abstract |
一般講演(ポスター発表) P1-226 (Poster presentation)
性選択形質は自然界で最も贅沢な形質進化であり,特にシカのツノに代表される武器形質は,その異常な巨大さと,種間での驚くべき形状の多様化によって注目されてきた.これまでの分子生物学的研究は,性的な武器形質の発達に関与する分子基盤について重要な知見をもたらしたが,自然界において,これらの形質が消失や変形を繰り返す進化的要因と遺伝基盤は未解明である.
本研究では,ノコギリクワガタ (Prosopocoilus inclinatus) と,その近縁種であり,矮小化した大顎を持つハチジョウノコギリクワガタ (Prosopocoilus hachijoensis) の形態・生態的特徴を調査し,比較ゲノミクスによって,性選択形質の縮小化の要因を推定した.新規に構築したノコギリクワガタの参照ゲノムと,日本全国の32個体のゲノムリシーケンスによって,高解像度に日本全体の集団遺伝構造を明らかにした.オスの大顎が矮小化しているハチジョウノコギリは,遺伝的にも高度に分化しており,その変化は八丈島の形成とほぼ同時期の,進化的に短い期間で生じたことが示された.全ゲノムFSTスキャンによるハチジョウノコギリ集団の変異遺伝子の探索の結果,栄養応答経路やクチクラ合成経路の機能を持つ遺伝子が多数検出された.その一つインスリン受容体 (InR2) の詳細な調査は,ハチジョウノコギリゲノムにおけるInR2遺伝子周辺領域への選択の履歴や,アミノ酸配列の非同義置換,上流域1627bpの欠失などを明らかにした.
これらの結果は,貧栄養な八丈島環境へ進出したハチジョウノコギリが,栄養応答性など遺伝子の変異を介した適応の結果と解釈できる.オスは,八丈島における餌場 (樹液)の消失によって使用頻度の減少した大顎の発達を放棄したと推測される.メスは,腹部を肥大化させ,樹液のない低栄養条件での長期間の生存能力を獲得しているようである.本研究の結果は,栄養条件などの環境要因によって,性選択形質の形状変異が進化的に短期間に起こりうることを示唆している.