資料編

ファクトブックの作成

 日本のフィールド研究者の間には、安全認識に関して以下のような誤解や過誤が多く認められる。・事故は不注意で起こるものであり、自分は注意しているから大丈夫である・フィールド研究歴は長いので自分は自然の危険については熟知している・教員が、リーダーの研究者がしっかりしているから安心だ

 これらの認識が完全な誤りであることは、近年相次いで発生した大事故の事例が示している。実際の事故は注意していても突発的に生じうるし、調査行動中の交通事故や人的被害も含めたフィールド事故の多様性は、明らかに研究者個人の経験の幅を上回る。また、リーダーや経験者が被害に遭わないという保証もどこにもない。我々がこれらの危険に的確に対処するには、各々が実際の事故例をできる限り知り、これによって自分に降りかかる可能性のある事故の形態を予想し、今後の対処法を策定していくしかない。このために最も重要な作業の一つがファクトブックの作成である。

 ファクトブックは、これまでに生じた事故、及び事故寸前で回避された例をできる限り具体的・客観的に収集し、これにより個人の危機管理への意識を喚起することを目的として作成するものである。ただし、事故当事者のプライバシーや遺族の感情に問題を与える記述を避けることは当然であり、かつ、実名や情報の詳細部分の公開の判断は公開する者に委ねられるので注意が必要である。

 分野は限られているものの、近年は政府レベルでもこのような事故事例集をデータベース化し始めた。以下にその例を示す。

 JST失敗知識データベース http://shippai.jst.go.jp/fkd/Search

 中央労災防止協会 安全衛生情報センター  http://www.jaish.gr.jp/menu.html

 フィールドの事故でファクトブックの作成が歴史的に古くから行われてきたのは、山岳遭難や水難事故であり、近年は多くの報告書やそのアブストラクトがインターネットで公開される様になってきている。

 遭難事故報告に関するサイト http://www.big.or.jp/~arimochi/sounanjiko.houkoku.html

 研究・教育関連でフィールドにおける事故をまとめた事例集は現在のところない。そこで、以下に、実際に京都大学において過去に発生した事故の実例をまとめた。今後のファクトブック運用のためには、web上の加筆、他事例の情報集積が必要である。

ファクトブック記載の例(1997年から2000年に発生した重大事故例)

<事故例1>

区分    森林・海外・交通事故(検索キーワードを記入)

事故発生年 1997年

場所    マレーシア、ボルネオ島

事故形態  航空機墜落事故

被害者   京都大学教授1名

事故概況

 調査研究場所であるボルネオ島ランビル国立公園に単身で向かう最中に、搭乗したロイヤルブルネイ航空のドルニエ228-212型プロペラ機が目的地空港付近の山中に墜落・激突し、乗客・乗員が全員死亡した。

事故後の対処

 現地からの連絡により、京都大学内に対策本部を設置。被害者自宅と対策本部に交代制で教員・学生を配置し、情報収集・対応作業を行った。情報は記者会見によるプレスリリースとwebにより公開した。葬儀後に追悼会・追悼出版などを行い、組織内に事故対策基金を設置した。

問題点など

1.プレス等の電話が殺到し、現場とのホットラインが維持できなくなった。
2.事故現場側からの情報量が少なく、家族の方々の不安を増幅した。
3.航空会社の被害者への対応が悪く、また、運行体制にも問題点が多かった。
4.研究組織内に事故に対応する体制が出来ておらず、対応に時間を要した。

考えられる対応

1.ホットラインは携帯電話などを使用することで確保する。
2.調査地で事故発生時に情報収集や連絡をしてくれる協力者を常時複数確保する。
3.複数路線・複数経路・複数会社の選択肢があるときには、金額・時間の多少の差に拘らず、最も安全性の高いものを選択する。
4.部所内にリスク管理を担当する人員・基金を設置し、再発を防止する。

 

<事故例2>

区分    動物・海外・水難事故

事故発生年 2000年

場所    メキシコ、バハ・カリフォルニア

事故形態  船舶沈没事故

被害者   京都大学教授2名、京都大学助教授1名、UC Davis教授1名、UC Davis PD研究員1名

事故概況

 バハ・カリフォルニアの離島における国際共同研究中の事故。動力付き小型ボート(グラスファイバー製)により調査地から戻る最中に船が転覆した。原動機が波をかぶり動かなくなったため船体の姿勢を制御できなくなり、海水が船内に浸入、バランスが悪化したところに強い横波を受けて転覆したと伝えられている。学者・学生の計20名弱が二艘に分乗し、このうち9名が乗った一艘が被害に遭った。調査地の島は本土側の海岸から約4マイルの距離にあり、この途中で事故が発生した。遭難時の波の高さは6フィートほど、水温は15-18℃程度と報告されている。転覆により乗っていた9名が海に投げ出された。うち4名は自力で近くの島に泳ぎ着き生還。日本人2名、アメリカ人2名が死亡、日本人1名は行方不明となった。この間の詳しい状況については情報が少なく不明な点が多い。

事故後の対処

 現地からの連絡により、京都大学内に対策本部を設置。被害者自宅と対策本部に交代制で教員・学生を配置し、情報収集・対応作業を行った。現地ではUC-Davis校関係者をはじめ、外務省メキシコ領事館・アメリカ総領事館などが対応にあたった。情報はプレス控室を研究所内に設置し、記者会見によるプレスリリースを行うとともにwebページでも公開した。また、アメリカ側当事者のUC-Davis校はホームページ上で迅速に詳細な情報を公開した。被害者家族は、研究機関代表者らと共に現場を確認し、情報収集、遺体引き取り等をおこなった。

問題点など

1.事故現場側からの情報量が少なく、家族の方々の不安を増幅した。
2.現場からの情報が様々な点で錯綜した。特に死亡確認と行方不明者の名称について誤報が流れたこと、ゴムボートと報道で報じられたことなどは周囲に誤解を与えた。
3.2艘のうちの片方に日本人研究者が集中して乗ったことが結果的に日本側の被害を大きくしてしまった。

考えられる対応

1.調査地で事故発生時に情報収集や連絡をしてくれる協力者を常時複数確保する。
2.車・ボートなどが複数ある場合は人数を振り分けることでリスク分散を図る。

 

<事故例3>

区分    森林・国内・交通事故

事故発生年 1998年

場所    新潟県、塩沢町(巻機山)

事故形態  自動車転落事故

被害者   京都大学大学院生 2名

事故概況

 学生2名が乗用車で京都を出発し、新潟県内の調査地に向かったまま連絡が途絶。帰郷予定日を2日過ぎた時点で家族から捜索届が出され、捜索が開始された。約3週間後に調査予定地付近の道路から約50m下の谷底に自動車ごと転落しているのが発見され、両名とも死亡が確認された。

事故後の対処

1.京都府警への捜索届の提出に伴い、研究所内に対策本部が設置され、指導教員が対策本部長となった。広域での植物採集を目的とする調査であったため、現場が明確には特定できず、第一次捜索隊は3箇所に分散して車を捜索した。
2.日本道路公団・新潟県警六日町警察署・小出警察署などへ本部から捜査要請が行われ、行方不明車の足取り追跡が行われた。また、新潟大学、森林総研十日町試験場の研究者のボランティアで現地に連絡場所を設置した。
3.第一次捜索隊は約30名の人員と自動車5台・ヘリコプター3機(県警・民間)・漁船などで自動車の落下・転落の可能性がある場所を約一週間網羅的に捜索したが手がかりを発見できなかった。
4.第二次捜索隊は約30名の人員と自動車5台で編成され、ガソリンスタンド・コンビニエンスストアー・町役場などでポスター配布・情報の聞き込みを約一週間行った。また、地元のマスコミ媒体の協力で情報の公開と収集を行った。
5.地元の工事関係者が事故情報を聞き、ボランティアで谷底まで降り捜索してくれた。これによって死角にあった事故車両が発見された。
6.事故車両は谷底に落下していたため側道を急遽建設し、車両が引き上げられた。車両引き上げ後、2名の遺体が家族により確認された。事故原因は不明である。

問題点など

1.行動予定が詳細に示された旅行届がなかったため、捜索範囲の絞り込みに困難をきたした。
2.捜索期間が長期に及び、家族の方々の精神的負担が極限状態に達した。
3.地元警察署毎に対応の仕方に著しい違いがあり、特に事故現場を管轄していた警察署は初動段階で捜査に力を入れてくれなかった。
4.ヘリコプターチャーター費用、事故車引き上げ費用などのため、捜索費は1000万円を大きく超える額となった。フィールド保険に加入していなかったため緊急事態用の積立金・大学当局の援助金・学会有志からの募金などが使われた。

考えられる対応

1.行動予定表は必ず詳細に記載させ、緊急時の連絡手法などをマニュアル化することで初動を早める。
2.事故発生時に専門化にカウンセリングを嘱託できる制度をつくり、事故発生から早期の段階で心理的負担の軽減を行う。
3.現場警察が動かない場合には県警本部・マスコミなどを通じて強く働きかける。
4.捜索資金が出る傷害保険への加入。