| 要旨トップ | 目次 | | 日本生態学会第57回全国大会 (2010年3月,東京) 講演要旨 |
一般講演(ポスター発表) P1-271
半自然草原は,火入れによる管理や放牧・採草などの利用によって維持されてきた,里山の主要構成要素である.草原から得られる草は,茅葺き屋根の材料や,牛馬の飼料,堆肥の材料などに利用された.このことから,少なくとも,日本人が定住・農耕生活を始めた弥生時代にはすでに,人為の加わった半自然草原が各地にかなりの面積で存在していたと推察される.しかし今日では,農業や社会の変容により,里山の利用形態が変化し,草原は大きく減少した.このため,草原は湿原とともに,最も保全優先度の高い生態系となっている.その一方で,明治以降の土地区分において草原は「原野」や「荒れ地」としか認識されておらず,地理的・定量的な変化が把握されていないのが現状である.本研究では,草原の保全と適切な利用に資するために,広島県北広島町八幡地区(旧八幡村)における江戸時代以降の草原利用の変化と,それに伴う植生の変化を定量的にとらえ,村落内における半自然草原のに変化をもたらした社会システムの変遷について整理した.八幡地区では明治時代から大正時代にかけて,草原面積は540haから866haへと一旦増加し,その後昭和中期には493haへと減少,現在では229haにまで減少した.八幡地区における明治以降の草原増加は,明治7年(1873年)に始まった地租改正によって,住民が自由に土地を利用できるようになり,利用圧が増したことによって生じた.その約20年後,村行政は独自の土地利用施策を採って安定が図られたが,この施策による均衡が生じる前に,戦争と続く燃料革命が起きた.これらを考慮すると,いわゆる「持続可能な里山利用のしくみ」が八幡地区に存在したとすれば,それは地租改正以前のことであり,明治時代以降の里山は大きな変化の中にあった.このことは,里山保全目標の目安として「エネルギー革命以前」が必ずしも適切ではないことを示唆している.