| 要旨トップ | 目次 | | 日本生態学会第58回全国大会 (2011年3月,札幌) 講演要旨 |
一般講演(ポスター発表) P1-317
西日本の丘陵地を中心に分布する鉱質土壌湿原(湧水湿地など鉱質土壌を持つ湿地に成立した草本群落)は、絶滅危惧種や地域固有種を含む重要な生物群集である。多くの場合、鉱質土壌湿原は里地・里山の中に存在する。本発表では、愛知県豊田市の矢並湿地を事例として、湿原内部やその周囲で見られた里地・里山特有の人の営為とその変化が、湿原植生にどう関与したのかを検討する。
地域住民からの聞き取り及び空中写真によると、矢並湿地の主要部分は、1930年代に築造された堰堤上流部に成立した。当時、集水域の丘陵斜面は禿山であり、大雨のたびに土砂の供給があった。湿地内への幾度もの土砂流入は、湿地内で確認した堆積物の層序からも裏付けられた。1940年代には湿原内で刈り敷き用の採草が行われていたが、この頃の植生は現在と比べ植被率・植生高ともに小さかった。集水域の丘陵斜面は1950年代にアカマツ林が成立するようになった。アカマツ林では1960年代初頭まで落ち葉かきなどの利用が行われていたが、1980年代頃からコナラ林に遷移した。
湿原植生への人為の影響をまとめると、踏み込みや植生の刈り取りによる直接的な効果と、集水域の森林管理を介した間接的な効果(大量の土砂被覆による遷移のリセット、蒸発散による全体的な地下水量の変化、湿地地表の侵食や堆積による相対的な地下水位の変化など)とに分けられる。矢並湿地は、形成当初、地盤高が低く蒸発散量も少なかったと推測されるので、湿潤な環境にあったようである。しかし、土砂堆積の進行と集水域の植生の発達は、乾燥した領域を増大させ、また、地表面を安定化させた。よって、この間植生は全体として発達する方向で変化を続け、乾燥した場所を好む群落が面積を増やしたと考えられる。