| 要旨トップ | 本企画の概要 | 日本生態学会第61回全国大会 (2014年3月、広島) 講演要旨
ESJ61 Abstract


企画集会 T24-4 (Lecture in Symposium/Workshop)

奄美・沖縄の環境ガバナンスの歴史:ジュゴンとソテツを例として

安渓貴子(山口大学医学部)

琉球列島の生物と人間活動の歴史的関連を「環境ガバナンス」の観点から考察する。人間による環境への働きかけを「環境ガバナンス」と呼び、通常は集落・市町村・県・国など、自治と統治が幾重にも層をなしている。これらの各ガバナンスが独自性をもち連携することの重要性を、八重山のジュゴンDugong dugongの絶滅過程は教えている。ジュゴンは、貝塚時代から食用とされ、沖縄県各地の遺跡から骨が出土する。王族専用の食材として琉球王朝時代(1609-1879)の八重山・新城島の住民の税でもあった。1879(明治12)年の琉球処分(廃藩)後ジュゴンの捕獲は野放しになったため乱獲が始まった。『沖縄県統計書』は1893年にジュゴン肉の取引を初めて記録し、1909年のピーク後激減し、1917年の記録が最後となった。およそ300頭いたと推定される八重山のジュゴンの個体群はこうして絶滅した。今日、辺野古への米軍基地建設計画のもと、沖縄県と日本政府の環境ガバナンスは機能不全に陥っている。最後に残った大浦湾のジュゴンを絶滅から救おうと、沖縄の住民は、米国の連邦地方裁判所に「自然の権利」を訴え、米文化財保護法に基づき勝訴した(2008年)。

ソテツCycas revolutea Thunb.は、有毒であるが救荒作物として琉球王国各地と薩摩藩の直轄地の奄美で植えつけが奨励された。奄美では幕末にサトウキビ栽培が強制され、ソテツが奄美の多くの人々の主食の地位を占めるに至った。この環境ガバナンスの歴史の違いにより、現在でも奄美の景観はソテツで特徴づけられるほどである。また有毒成分の除去の方法にも、18世紀の琉球王朝の政治家蔡温の環境施策の広がりを反映した地域差があることが見いだされ、琉球列島におけるソテツと人との関係の多様性を示している。


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