| 要旨トップ | 目次 | 日本生態学会第64回全国大会 (2017年3月、東京) 講演要旨
ESJ64 Abstract


一般講演(ポスター発表) P1-M-371  (Poster presentation)

淡路島南部の薪炭林における昭和中期から現在までの森林の利用・管理と植生景観の変遷

*髙松綾子, 澤田佳宏(淡路景観園芸学校/兵庫県立大学緑環境景観マネジメント研究科)

 淡路島南部のかつての製炭集落・畑田組において,炭焼きが盛んだった昭和中期の植生景観と森林利用を明らかにするため,炭焼き経験者への聞き取り調査,山林内の炭窯跡の分布調査,毎木調査・年輪調査および空中写真の判読を組み合わせた過去の植生推定を行った.
 調査により次のことがわかった.畑田組では古くから製炭が行われていたが,終戦の引上げで労働人口が急増した昭和20年頃から製炭に従事する人が増え,昭和40年代まで生産がつづいた.最盛期の昭和30年代には伐る林分が不足し,林地・立木の売買が行われた.畑田組には入会地を「株」という単位に分割して所有する土地利用形態があったため,コモンズの悲劇による不可逆的な裸地化が生じなかったと考えられる.薪炭林施業では皆伐が行われ,伐後は植樹や草刈りは行われず,自然の遷移と萌芽再生に任せられた.伐採跡は程なくススキ群落となり,このススキが炭俵の材料として使われた.また,タラノキ,クサギ,キイチゴ類などを食べたとの発言があり先駆性低木林を経て,照葉二次林が回復したと推測される.輪伐周期は20~30年で, 年輪調査から推定した輪伐期の林高は4~7mと低かった.輪伐期の種組成は,ヤブツバキの優占度が二次林としては異例に高く,ほぼ純林状と推定された.聞き取りではツバキを植えたことはないと言われたが,昭和6年の県統計資料から,かつて当地域が県下有数のツバキ果実産地であったことが判明した.ツバキは過去に植えられた可能性がある.
 以上から,炭焼きが盛んだった昭和中期の畑田組の植生景観は,伐採後の裸地,ススキ群落,先駆性低木林,林高7m以下のツバキ林などからなるモザイク景観だったと推定される. 現在,畑田組の山林を覆う林高約20mの照葉樹林は,昭和20〜40年代に伐採を受けた林齢50~70年の二次林である.また,二次林におけるヤブツバキの優占度の高さは,ツバキの実を出荷していた頃の名残である.


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