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一般講演 A1-04

メタ群集の観点に立った干潟ベントス群集の保全

玉置昭夫(長崎大・水産)

演者は九州,天草下島にある砂質干潟(=富岡干潟)ベントス群集の変遷を1979年以来追跡してきた.ここには地下深い巣穴に棲む十脚甲殻類のハルマンスナモグリ(以下スナモグリ)と干潟表面に棲む巻貝のイボキサゴがそれぞれ高潮帯と低潮帯に分かれて高密度で生息していた.イボキサゴは捕食者や外部寄生者など多数の付随種に取り巻かれていた.その後1983年までにスナモグリは生息域と個体数密度を著しく増大させ,1986年までにイボキサゴと付随種9種を絶滅させた.これはスナモグリの強力な基質攪拌作用(bioturbation)による.この状態は10年間続いたが,1995年よりスナモグリ個体群が凋落し始め,その密度は1999年にかつての値に戻った.これに伴い,1997年よりイボキサゴが復活し始め,さらに付随種4種も復活し現在に至っている.このような群集変遷の背景には,富岡干潟個体群と他の主要な干潟個体群(スナモグリでは計26個,イボキサゴでは11個)の間の幼生授受関係がある.富岡干潟のスナモグリ個体群サイズは,最盛期にはメタ個体群全体の70%を占めていたと推定される.しかしここから放出された幼生は,イボキサゴが高密度で存続していた6つの干潟のスナモグリ個体群サイズをあまり増大させなかった.これらの干潟は富岡干潟から20-30km離れており,ここに生息するスナモグリ個体群は幼生を富岡干潟に一方的に供給するのみである.この授受関係は付近の海洋構造に因っている.イボキサゴも幼生を富岡干潟に供給しうる.しかし,どの干潟から放出された幼生が,浮遊期間内(2-8日)に富岡干潟に到達できたのかはまだ不明である.本事例は,干潟ベントス群集の保全には,幼生の交流を介してつながっている複数種の局所個体群のネットワーク,すなわちメタ群集の観点に立って策を講ずべきことを示している.

日本生態学会