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ため池防災特措法に基づく防災事業における堤体植生配慮の要望書

一般社団法人日本生態学会 自然保護専門委員会
委員長 和田直也

 東日本大震災や西日本豪雨において多数の農業用ため池が決壊し、周辺住民が被災したことを受けて、2030年度までの時限立法として「防災重点農業用ため池に係る防災工事等の推進に関する特別措置法」(以下、ため池防災特措法)が制定された(2020年)。現在、農林水産大臣が定める防災工事等基本指針に基づき、都道府県知事が防災工事等推進計画を定め、農村地域防災減災事業として農業用ため池の防災工事が全国で計画・実施されている(NHKの調べでは46都道府県の6160池1)。

 一方で、農業用ため池は人工的な水域であるにもかかわらず、水域や周辺湿地がさまざまな陸生・水生の動植物の貴重な生育・生息場所となっていることが広く注目されてきた2-3。さらに、全国的に草原が急速に減少する中で4-5、近年、ため池堤体そのものが草原性の希少植物の生育地であること6-7、ため池堤体が周辺の生育地と比べて希少植物が特に豊富な場所であることが8-10、数多くのため池で報告されている。ため池堤体では、昆虫をはじめとする動物の調査例はほとんどないが、希少植物だけでなく、草原植生に依存する希少昆虫も生息している可能性が高い。

 草原などの二次的自然の減少は、生物多様性の「第2の危機=人間活動の縮小」の結果であるが11、適切な維持管理作業が行われている農業用ため池の堤体は、まさに貴重な二次的自然といえる。生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)では「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択され、2030年までに地球の陸と海のそれぞれ30%を保護区にすることや、そのために民有地の二次的自然等を保護区として認定して積極的に活用することが合意された。わが国でもこうした二次的自然等を「自然共生サイト」として認定し、生物多様性の保全に活用する施策が進められており、農業用ため池が認定された事例も存在する。

 このような二次的自然の生物多様性保全に対する国内外の関心の高まりとは裏腹に、2030年度までに全国的に急速に進むことが予想される農業用ため池の防災工事では、堤体の掘削によって希少な動植物が表土ごと面的に失われる可能性が高い。土地改良法においては、土地改良事業の施行にあたって環境との調和に配慮することが規定されており、土地改良指針「ため池整備」12も、ため池周辺を二次的自然空間と位置づけて注目種の生育・生息状況調査や保全対象種への配慮対策を求めている。しかし同指針では周辺の樹林や湿生植物の生育地が保全地としてあげられている一方で、ため池堤体が保全対象として位置づけられていない。また、農村地域防災減災事業実施要領13にも、ため池の防災工事の際に生物の生育・生息地に配慮することが盛り込まれていない。これは、農業用ため池の廃止工事において希少動植物の移動・避難等の積極的な保全策が推奨されている14ことと対照的である。

 農業用ため池の防災工事においては、堤体の掘削によって希少植生が失われる一方で、堤体を補強する人工構造物が設置されることがある。こうした人工構造物の機能はやがて老朽化によって低下・消失し、その復旧には多大な費用がかかる。一方で、豊かな生態系は、防災・生物多様性保全・文化・教育などの多面的なグリーンインフラ機能を、少ない維持費用で持続的に発揮することが知られている15。数百年以上にわたって持続的に管理されてきた農業用ため池堤体の植生も、土壌の保持や減災に寄与してきた可能性がある。ため池堤体の植生に配慮した防災工事を行うことで、改修後にもこうしたグリーンインフラ機能が引き継がれることが期待できる。

 そこで、農業用ため池の防災工事においては堤体植生に配慮し、下記の対策を講じることを要望する。

  1. 地域の生物に詳しい専門家や団体と事前に話し合った上で希少動植物等の生育・生息状況を調査して施工計画を立てるとともに、工事後にも追跡調査を行うこと。その際、水生生物に配慮して水を抜く時期や期間も慎重に検討すること。
  2. 堤体下部に対する部分的な盛り土や人工構造物の設置、水位管理などの運用方法の工夫など、堤体の掘削以外の方法による防災機能の向上策を十分に検討すること。
  3. 堤体掘削を行う場合は、掘削せずに保存する植生保全帯を可能な限り広く設けるとともに、掘削前の表土(植物の根系や種子が含まれる)や草刈り物(種子や微生物が含まれる)を工事後の堤体表面に戻すこと(表土扱い)、および希少植物を事前に掘り取って一時避難させてから工事後に植え戻すなどの保全策を講じること。
  4. 農林水産大臣においては、これらの配慮・対策を農村地域防災減災事業実施要領等に盛り込むこと。
  5. 環境大臣においては、防災工事の対象となっている農業用ため池が生物の貴重な生育・生息地であり自然共生サイトとして有力な候補地であることの周知・普及に努めること。
  6. 防災工事等推進計画を定める都道府県知事においては、これらの対策を講じて農業用ため池の堤体植生に配慮すること。

 日本生態学会自然保護専門委員会は、農業用ため池が持つ豊かな生物多様性と、それに基づく生態系機能・グリーンインフラ機能が保全されるよう、防災工事において上記の対策を通じて貴重な堤体植生への配慮がなされることを強く要望する。

要望書送付先

農林水産大臣、環境大臣、ため池防災工事関連都道府県知事(神奈川県以外の46都道府県)


引用文献

  1. NHK 2023. NEWS WEB.
  2. 江崎保男・田中哲夫(編)(1998)水辺環境の保全-生物群集の視点から-.朝倉書店.
  3. 高村典子(編)(2004)ため池の評価と保全への取り組み.国立環境研究所研究報告 第183号.
  4. 西脇亜也 (1999) 草原生物群集の成立と衰退. 遺伝, 53, 26-30.
  5. 小椋 純一 (2006) 日本の草地面積の変遷. 京都精華大学紀要, 30, 159-172.
  6. Uematsu, Y., & Ushimaru, A. (2013). Topography‐and management‐mediated resource gradients maintain rare and common plant diversity around paddy terraces. Ecological Applications, 23(6), 1357-1366.
  7. 滝澤 一水 (2023) 資料編⑤ 塩田平ため池の希少植物目録In: 塩田平のため池群. 塩田平文化財保護協会.
  8. 田中健太 (2023) 第8章第3節 ため池に残る草原性の草地と豊富な希少種の植生. In: 塩田平のため池群. 塩田平文化財保護協会.
  9. 滝澤 一水 (2023) 草原の継続年数が植物の多様性に与える影響:ため池堰堤の歴史的価値. 修士論文. 筑波大学山岳科学学位プログラム.
  10. Uematsu, Y., Koga, T., Mitsuhashi, H., & Ushimaru, A. (2010) Abandonment and intensified use of agricultural land decrease habitats of rare herbs in semi-natural grasslands. Agriculture, ecosystems & environment, 135(4), 304-309.
  11. 環境省 (2023) 生物多様性国家戦略 2023-2030. 環境省, 東京.
  12. 農林水産省 (2015) 土地改良設計指針「ため池整備」(案).
  13. 農林水産省(2023) 農村地域防災減災事業実施要領.
  14. 農水省 (2023) 防災重点農業用ため池の廃止工事における生態系配慮について.
  15. グリーンインフラ研究会(編)(2017) 決定版! グリーンインフラ. 日経BP.