第23回(2025年)日本生態学会賞受賞者
大手 信人(京都大学大学院情報学研究科)
陀安 一郎(総合地球環境学研究所)
選考理由
2名の推薦がありました。両名とも、優れた研究業績を有しており、各々の専門分野の発展と日本の生態学の振興への多大な貢献が高く評価されたため、両名を受賞候補者として選出しました。
大手信人 氏
大手氏は、フィールドでの観測と実験によって、森林生態系における物質循環とその循環過程における水文過程の重要性を解明してきた。初期の研究では、滋賀県の桐生試験地において森林集水域の窒素循環と流出メカニズムを調べ、生態学的に極めて重要な溶存物質である硝酸態窒素(NO3-)の渓流水への流出とその長期的なインパクトを示した。2000 年代以降は生元素(H・O・C・N など)の安定同位体比情報を用いたフィールド観測研究に着手し、窒素と酸素の安定同位体比を測定するための新しい分析手法(微生物脱窒菌法)を森林集水域におけるNO3-動態の把握に世界で初めて導入し、渓流水中のNO3-の起源同定を行った。さらに、大手氏はフィールド観測をアジア・北米においても展開し、生態系物質循環の把握に水文学的なシステム論を導入することで、地域ごとの物質循環過程の特異性を炙り出すことに成功した。後年では東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故によって飛散した放射性物質が自然生態系の物質循環や生物群集動態に及ぼす影響について解明してきた。大手氏の研究業績の総引用回数が6000回を超えること、そして、数々の国際会議に講演者として招聘された実績は、氏の研究が世界の生態系生態学研究に与えたインパクトを物語っている。また、長年にわたり大規模長期生態学専門委員会の委員長を務め、JaLTERのデータベース整備やEcological Research誌におけるData Paperの創設にも貢献し、教育面においても多くの後進の育成にも尽力してきた。我が国における生態系生態学と水文学の境界領域における実証研究を開拓し、両分野の発展に貢献し続けてきた功績は大きい。大手氏は、日本生態学会賞の受賞者にふさわしい、顕著な存在であると判断する。
陀安一郎 氏
陀安氏は、生体物質に含まれる各種元素の同位体比から得られる情報から生態学的プロセスを推定する「同位体生態学」の開拓と発展に一方ならぬ貢献を果たしてきた。研究経歴の初期においては、窒素や炭素の安定同位体比分析を応用して、木材食のシロアリが乏しい窒素源を補うために空気中の窒素を固定し獲得することや、熱帯の陸域生態系の分解者として重要なシロアリの食性が木材食や土壌食に多様化した過程を明らかにした。これらの先駆的な成果は総説や教科書などに広く引用されている。以降は、軽元素安定同位体に加え、重元素や放射性元素、アミノ酸窒素などの同位体比分析を、食物網解析、物質循環、流域評価、魚類の回遊履歴の解明などに適用することで、幅広い生態学分野での先進的な発見を導いてきた。これらの研究は総被引用回数5000回を超える200報以上の論文として公表されている。陀安氏の生態学への唯一無二の貢献として特筆すべきなのは、同位体生態学の研究実施拠点の整備と維持に果たしてきた役割である。総合地球環境学研究所における同位体環境学共同研究事業や、生態学研究センターにおける安定同位体比分析システム共同利用の推進を通じて、国内外の同位体生態学の基盤形成と発展をもたらした功績は計り知れない。人材育成にも熱心に取り組み、陀安氏が指導した学位取得者やポスドクの多くが研究職に従事している。学会への貢献としても、専務理事、監事、大会企画委員長、Ecological Research誌のAssociate Editor-in-Chief、日本生態学会誌編集幹事として長年にわたり学会と学会誌の運営に力を発揮してきた。これらの功績により日本生態学会賞にふさわしいと評価できる。
選考委員会メンバー:鈴木俊貴、鈴木牧、辻かおる、門脇浩明、瀧本岳(委員長)、深野祐也、工藤洋、深谷肇一、山口幸