<<全体に簡潔にして、事故例・・後半部への導入、交通事故を「調査前」の移動手段の選択などとする、一部は「調査中」>>
フィールド調査は研究室を出発したときに開始され、研究室に戻ったときに終了する。調査のなかには、現場までの交通、調査、宿泊、現地の住民達との交流や現場事務等の様々な要素が含まれるので、「調査中の事故」というのは、通常のフィールドでの事故に加えて、交通事故や対人関係による事故も包含することになる。我々は、これら多様な事故形態に対して、調査を開始する前の段階で危険性の予測を行い、事故の発生を未然に防ぐ努力を行わねばならない。また、ひとたび事故が発生したときには、事故の発生原因や事故現場の危険に留意しながら救難活動を行わなければならない。
まず、この章では、これまで実際に発生した事故の実例を項目別に分類し、事故の多様性について具体的に確認する。次に、それぞれの項目について、事故が発生するパターンの把握と、その対処方法について示す。なお、海外調査にまつわる固有の問題については、別項に記す。
近年のフィールド調査研究の大きな特徴は、調査地までの移動距離が長くなり、交通機関に依存する部分が大きくなってきていることである。また、国内でも公共交通機関や道路網の発達によって遠隔地での研究は加速度的に増加している。フィールド研究における交通機関への依存度の高まりに比例して、交通事故件数は近年大幅に増加した。死亡事故だけを挙げても、飛行機(サラワク 1997)、小型船舶(バハ・カリフォルニア 2000)、自家用車(国内・巻機山 1998)とここ数年に立て続けに発生しており、件数がほかの死亡事故に比べて圧倒的に多く、形態も多様である。
フィールドの事故一般においてこれまで繰り返し指摘されてきているのは、被害者本人の行動に全く問題がないにも関わらず遭難が生じるケースは比較的少ない(事故の大部分にはヒューマンエラーが存在する)ということである。事故は事前のトレーニングとリスクアセスメントによって、かなりの部分を未然に防ぐ、または被害を最小限に留めることが可能である。
日本のフィールド研究者には、「山登りほど危険なことはしていないし、これまでも問題がなかったので、今後も問題ない」という危機意識の欠如が顕著である。このため、基礎的訓練ができていれば充分回避できるケースでも大事故に発展する可能性があり、非常に危険な状態であるといえよう。フィールドでの危険は、必ずしも遠隔地で自然度の高い場所で大きくなるとは限らない。里山や街中を流れる河川のような身近な場所にも大きな危険が潜んでいることを研究者は知っておくべきである。フィールド研究を行う際には、事前に留守本部と調査主体の間で事故防止・対応策についての打ち合わせを行う必要がある。また、技術面でのいくつかの項目については、現状を改善するために講習・トレーニングの実施が必要である。
登山活動などの野外活動において実際に行われている技術トレーニングの項目には、救急救命法(蘇生法・心マッサージ・止血法・包帯etc.)・気象予報(天気図・観天望気)・読図・ザイル操作・通信技術・雪上・氷上行動技術・不時露営法(ビバーク)などがあり、ほとんどのものはフィールド調査に流用可能である。救命法については、後述の「救急救命法とケガの手当(資料編)も参照されたい。
これらの技術の中で、救急救命法と通信技術は実際にフィールド事故に遭遇したときに特に重要であり、この二項目の訓練が行われているか否かで事故発生時の被害者生存率には雲泥の差がつく。通信技術は被害者家族の心理的負担を軽減するためにも非常に重要である。危機管理担当者は、フィールド調査を実施するにあたって、事故発生時に現場とのホットラインが確実に開設できるように事前に準備せねばならない。また、医療関係者の救援が容易に得られない遠隔地で調査を行う場合には、調査グループ内に少なくとも一名の救急救命法講習修了者を配置すべきである。救急法と通信技術については後段で詳しく述べる。
調査現場の事故は、その研究内容によって様々な形態をとる。ここでは山・陸上での事故、河川・海上での事故、人的事故の3つの区分とし、代表的なケースについてのみ議論する。
森林・動物・地形・地質・雪氷等の研究者は自然環境下でフィールドワークを行うことが多く、調査中の行動内容は必然的に登山活動のそれに近くなってくる。このため、事故の内容も山岳遭難に類似した形態をとることが多い。これまでに発生した事故やニアミス事故、および今後起こりうる事故を原因別に類型化すると以下のようになる。
気象遭難(吹雪・大雨・台風・雷)
ルートミス
突発的災害(落石・雪崩・土石流・鉄砲水・氷河崩壊・火砕流・山火事・倒木 etc.)
突発的事故(滑落・転落・雪庇踏み抜き・雪洞崩壊・樹木からの落下・テントの火事)
衰弱・低体温症(疲労凍死)
疾病・ケガ等(高山病・心臓疾患・熱傷・凍傷・骨折・熱射病・熱疲労・感染症etc.)
危険生物(ヒグマ・ハブ・スズメバチ etc.)
実際の事故例では、これらのうちの複数が連鎖反応的に起こって大事故に至っているケースが多い(悪天候-ルートミス-疲労凍死など)。調査研究中の事故は、死亡事故にならない限り一般にその内容が公表されることは極めて少なく、情報の蓄積はほとんどなされていない。野外での危険を知るには、登山やダイビングなど野外スポーツでの事故例を参考とし、実例から学ぶことが必要であろう。
河川・海洋では、溺水・低体温症・磯などでの打撲や裂傷・危険生物による咬傷などの事故が多く発生する。スノーケリングやスキューバダイビングによる事故(潜水病・溺水など)は、ダイバーの間で頻繁に発生している(「ダイビングで死なないためのホームページ」http://www.hi-ho.ne.jp/nakadam/diving/index.htmを参考にされたい)。水難事故は、一般に陸上における事故よりも被害者の救出が難しく、救出時の二次遭難の確率も桁外れに高い。このため、水難事故の救難は、救助者側には最低でも水上安全法レベルの技術習得が求められる。たとえ溺水しているものがいるとしても、素人が救助のためにむやみに飛び込むのは非常に危険な行為であることを救助者側は自覚せねばならない。溺水した被害者を安全な場所に引き上げた場合には、迅速な気道確保、呼吸・脈の有無と意識レベルの確認が必要で、呼吸停止時は直ちに人工呼吸を、心停止時には心マッサージを行わなければならない。なお、河川・海洋における調査時の安全については、後述の水辺の調査を参照されたい。
<事例>
1998年、千曲川にて、ウェーダー(胴長)着用で藻類の調査を行っていた学生が水深30cm - 40cmの川の中で転倒、そのまま200mほど下流に流された。事故後約10分で救出され、迅速に蘇生法が試みられたものの死亡した。転倒してウェーダーの中に水が入り自力で起き上がるのが困難になったことが事故を大きくした原因と推定された。事故後、対策本部はウェーダーの販社に対し、取扱説明書中にライフジャケットを併用する注意書を入れるよう要請した。
野外調査では種々の危険な生物による被害の可能性があるが、人間による被害の可能性も決して軽視できない。狩猟が行われる場所・時期にはとくに目立つ服装が必要になる。調査地は、人が少ない場所であるのが普通なので、各種の犯罪の被害を受ける可能性も小さくない。地元とのコミュニケーションをとり、情報を得ることも役に立つ。単独での調査はできる限り避けることが望ましい。
人が原因となる被害は、調査者の間でも生じる可能性がある。調査者間でのハラスメントを避けるために、必要な手段を講じる必要がある。