岐阜県御嵩町の環境省重要湿地およびハナノキ群生地におけるリニア発生土置き場設置計画の見直しを求める要望書
一般社団法人日本生態学会
自然保護専門委員会長 和田直也
御嵩町長 渡邊公夫 様
※ 東海旅客鉄道株式会社(JR東海)宛要望書は こちら
岐阜県御嵩町とその周辺地域には、学術および生物多様性保全の観点から貴重な湿地群が分布する(植田 1989, 1994;日本シデコブシを守る会 1996;糸魚川 2013,2015;御嵩町レッドデータブック調査員有志グループ 2015;篭橋 2018;湧水湿地研究会 2019)。しかし、これらの湿地の多くは開発で消失し、そこに生育・生息する多くの動植物が絶滅の危機に瀕している(環境省 2020)。同町美佐野地区において検討が進められているリニア発生土置き場の設置計画(御嵩町ホームページ ,2023年3月10日確認)は、当該地域に残存する貴重な湿地群およびそこに生育・生息する希少種に多大な影響を与えると考えられるため、本事業による環境改変が生態系や生物多様性に与える影響の回避、もしくは計画の大幅な見直しを行い、事業区域の変更を要望する。
- 貴重な生態系の保全の重要性
リニア発生土置き場の設置計画が公表されている美佐野地区の湿地群は、環境省が指定する『生物多様性の観点から重要度の高い湿地(略称「重要湿地」)』に指定されている。重要湿地は、地域住民等が湿地の重要性を認識し、湿地保全・再生の取組を活性化することを目指して選定されたものである(環境省ホームページ ,2023年3月10日確認)。美佐野地区内の湿地は、東濃地域湧水湿地群に含まれており、ハナノキ(絶滅危惧II類)、シデコブシ(準絶滅危惧)をはじめ多くの希少種やレッドリスト種が生育する(御嵩町レッドデータブック調査員有志グループ 2015;篭橋 2018;湧水湿地研究会 2019;表1)。
湧水湿地は、かつては東海地方のいたるところに分布していたが、道路や住宅地、ゴルフ場建設などによって急速に減少し、現在残されているものは開発からかろうじて逃れたものである(植田 1994;富田 2018)。計画が実施されれば、発生土による埋め立てで湿地の一部が消滅することに加え、発生土置き場の周辺の自然環境にも多大な影響を与えることが予測される。
2022年12月にカナダモントリオールにて開催された国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)においては、2030年までに生物多様性を回復軌道にのせるというネイチャー・ポジティブの考えのもと、「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択された。本枠組では、23の行動目標が示されており、地球上の陸域、海洋・沿岸域、内陸水域の30%を保護する「30 by 30目標」などが掲げられている(環境省ホームページ ,2023年3月10日確認)。こうした国際的な視点からも、本計画予定地のような生物多様性の保全上重要なエリアは、開発候補地からは除外され、優先的に保全することが検討されるべきである。 - 希少種への影響
リニア発生土置き場の設置計画において、発生土置き場の候補地となっているエリア(御嵩町公表資料「御嵩町リニア発生土置き場に関するフォーラム(第5回 令和5年1月21日)東海旅客鉄道株式会社 「ハナノキ群生地等重要湿地の保全」について説明します」における候補地Aおよび候補地B ,2023年3月10日確認;以下候補地)は、環境省レッドリスト(環境省 2020)に掲載されているハナノキやシデコブシの群生地となっている。ハナノキの現存個体群は、20個体以下の小規模なものが多数を占めるが(森林総合研究所ホームページ , 2023年3月10日確認;Saeki 2005)、美佐野のハナノキ自生地は、成木74個体を擁する群生地であり(御嵩町レッドデータブック調査員有志グループ 2015)、本種の保全上、重要な個体群といえる。リニア発生土置き場の設置は、当初の計画よりも規模を縮小させており、この点は評価することができる。しかし、現在の計画においても本群生地の成木の約30%が消失すると見込まれ、将来の繁殖や更新への影響が懸念される。また、候補地の一部は美佐野ハナノキ群生地のほぼ中央に位置するため、湿地群の周縁部(エッジ)を増大させ、野生生物の生育・生息地としての連続性を低下させるおそれがある。
美佐野のハナノキ群生地には、ミカワバイケイソウ(絶滅危惧II類)、カザグルマ(準絶滅危惧)などの希少植物が生育するほか、クロミノニシゴリなど東海地方の湿地を中心に分布する東海丘陵要素植物(植田1989)が生育する(御嵩町レッドデータブック調査員有志グループ 2015;篭橋 2018;湧水湿地研究会 2019;表1)。動物については、サシバ(絶滅危惧II類)、ミゾゴイ(絶滅危惧II類)、アカハライモリ(準絶滅危惧)といった種の生息が確認されている(御嵩町レッドデータブック調査員有志グループ 2015)。リニア発生土置き場の設置計画は、これらの希少種の生育・生息地を消失・分断化させ、地域個体群の絶滅リスクを高めることが危惧される。
ハナノキについては、移植の計画が発表されているが、本種は地史的な時間スケールの中で、東海丘陵の湿地群に生育し続けることで、生きながらえてきた種である(植田 1994;糸魚川 2015)。いわば、湿地とともに生育していてこその植物であり、自生地において野生個体を保全する「生息域内保全」を優先して検討すべきである。一般に、絶滅危惧種の移植には枯死のリスクが伴う。同じく移植が検討されているヒメカンアオイについても、種子分散能力が限られており(日浦 1978)、近接した地域間で遺伝的な分化が生じている可能性が高い。また、サシバについては営巣地を改変範囲からはずすことが検討されているが(御嵩町ホームページ ,2023年3月10日確認)、サシバは今回の事業地全体を生息エリアとしていると思われ、事業が実施されれば繁殖放棄の心配がある。候補地のある美佐野のハナノキ群生地では多くの希少動植物が確認されているものの(表1)、保全措置が検討されているものはハナノキ、サシバ、ギフチョウのみであり、かつ、全ての希少種に対し、十分な保全措置を実施することはコストや科学的情報の欠如などから困難と考えられる。ゆえに開発候補地から除外すべきである。 - 情報公開と対話
リニア中央新幹線の建設は、自然を大きく改変し、様々な環境負荷を与えるものである。そのため、工事計画地やその周辺に住む人々の不安や懸念は極めて大きい。このような状況において合意形成を進めるには、対話を繰り返すことによって相互に信頼関係を構築することが重要である(日本生態学会生態系管理専門委員会 2005)。さきに述べたCOP15では、企業や地方自治体を含む多様な主体が生物多様性を回復させるために積極的な行動をとることの重要性が議論された(環境省ホームページ , 2023年3月10日確認)。発生土受け入れを検討している御嵩町においては、(1)計画の内容、計画地と周辺地域の自然環境の科学的情報、発生土に関する科学的情報、および環境影響評価の結果について、十分かつわかりやすい形で地域住民および関係者に公表すること、(2)賛成、反対の立場を超え、幅広い意見や情報が交換できる透明性と公平性をもった議論の場を確保すること、(3)結論を急がず、地域の関係者の方々の懸念や疑問に対して真摯に対応することを要望する。
なお、本要望書は、岐阜県知事、環境大臣、および国土交通大臣にも送付することを付け加える。
引用文献
- 日浦勇(1978)蝶のきた道.蒼樹書房.
- 糸魚川淳二(2013)シデコブシ・ハナノキ・ヒトツバタゴの自生地-2 自然環境と自生地の現況.瑞浪市化石博物館研究報告 39: 91-121.
- 糸魚川淳二(2015)シデコブシ・ハナノキ・ヒトツバタゴの自生地-3 -包括的検討-.瑞浪市化石博物館研究報告41: 133–162.
- 篭橋まゆみ(2018)岐阜県御嵩町における湧水湿地の現状と保全.湿地研究 8: 143-147.
- 環境省(2020)「環境省レッドリスト2020」,2023年3月10日確認
- 御嵩町レッドデータブック調査員有志グループ(2015)御嵩町のハナノキ自生地.自費出版.
- 日本生態学会生態系管理専門委員会(松田裕之, 矢原徹一, 竹門康弘, 波田善夫, 長谷川眞理子, 日鷹一雅, ホーテスシュテファン, 角野康郎, 鎌田麿人, 神田房行, 加藤真, 國井秀伸, 向井宏, 村上興正, 中越信和, 中村太士, 中根周歩, 西廣美穂, 西廣淳, 佐藤利幸, 嶋田正和, 塩坂比奈子, 高村典子, 田村典子, 立川賢一, 椿宜高, 津田智, 鷲谷いづみ)(2005) 自然再生事業指針. 保全生態学研究 10(1): 63–75.
- 日本シデコブシを守る会(1996)日本シデコブシを守る会編.『シデコブシの自生地』.217 p. ISBN: 978-4990048112
- Saeki I (2005) Ecological occurrence of the endangered Japanese red maple, Acer pycnanthum: base line for ecosystem conservation. Landscape and Ecological Engineering 1, 135–147.
- 富田啓介(2018)湧水湿地の環境は東海地方においてどこまで理解されたか? 湿地研究8: 63–79.
- 植田邦彦(1989)東海丘陵要素の植物地理 : I.定義.植物分類,地理.40 (5-6): 190–202.
- 植田邦彦(1994)東海丘陵要素の起源と進化.岡田博,植田邦彦,角野康郎編.『植物の自然史』.pp. 3–18.北海道大学出版会.札幌市.
- 湧水湿地研究会(2019)東海地方の湧水湿地:1643 箇所の踏査から見えるもの.332 p.豊田市自然観察の森.豊田市.
表1.
御嵩町美佐野地区のハナノキ自生地において生育・生息が確認されている保全上注目すべき種(御嵩町ハナノキ調査グループ(2015)および 御嵩町ホームページ (2023年3月10日確認)より作成).
種名 | 保全情報* |
---|---|
植物 | |
ハナノキ | 絶滅危惧II類(国)・絶滅危惧II類(県)・掲載種(町)・東海丘陵要素 |
シデコブシ | 準絶滅危惧(国)・絶滅危惧II類(県)・掲載種(町)・東海丘陵要素 |
ミカワバイケイソウ | 絶滅危惧II類(国)・絶滅危惧II類(県)・掲載種(町)・東海丘陵要素 |
カザグルマ | 準絶滅危惧(国)・絶滅危惧II類(県)・掲載種(町) |
ヒナノシャクジョウ | 絶滅危惧II類(県)・掲載種(町) |
ホンゴウソウ | 絶滅危惧II類(国)・絶滅危惧I類(県) |
ヒメカンアオイ | ギフチョウ(絶滅危惧II類(国)・準絶滅危惧(県))の食草 |
ヒメコヌカグサ | 準絶滅危惧(国)・準絶滅危惧(県) |
マツグミ | 準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
キンラン | 絶滅危惧II類(国)・絶滅危惧II類(県)・掲載種(町) |
カキノハグサ | 絶滅危惧II類(県)・掲載種(町) |
ジガバチソウ | 掲載種(町) |
クロミノニシゴリ | 東海丘陵要素 |
哺乳類 | |
ニホンカモシカ | 特別天然記念物(国) |
ホンシュウカヤネズミ | 準絶滅危惧(県) |
鳥類 | |
サシバ | 絶滅危惧II類(国)・準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
ミゾゴイ | 絶滅危惧II類(国)・絶滅危惧II類(県) |
ヤマドリ | 準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
アカショウビン | 準絶滅危惧(県) |
ハチクマ | 準絶滅危惧(国)・準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
カイツブリ | 準絶滅危惧(県) |
アオバト | 情報不足(県)・掲載種(町) |
クマタカ | 絶滅危惧IB類(国)・絶滅危惧II類(県) |
サンショウクイ | 絶滅危惧II類(国)・準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
クロツグミ | 掲載種(町)・掲載種(町) |
サンコウチョウ | 準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
オシドリ | 情報不足(国)・準絶滅危惧(県) |
ヨタカ | 準絶滅危惧(国)・準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
ミサゴ | 準絶滅危惧(国) |
コサメビタキ | 準絶滅危惧(県) |
センダイムシクイ | 準絶滅危惧(県) |
フクロウ | 準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
両生類 | |
アカハライモリ | 準絶滅危惧(国) |
トノサマガエル | 準絶滅危惧(国) |
魚類 | |
ドジョウ | 準絶滅危惧(国) |
ミナミメダカ | 絶滅危惧II類(国)・掲載種(町) |
昆虫類 | |
グンバイトンボ | 準絶滅危惧(国)・準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
ウマノオバチ | 準絶滅危惧(国) |
タベサナエ | 準絶滅危惧(国) |
ヒメタイコウチ | 絶滅危惧II類(県) |
トラフトンボ | 準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
ギフチョウ | 絶滅危惧II類(国)・準絶滅危惧(県)・掲載種(町) |
トゲアリ | 絶滅危惧II類(国) |
ネグロクサアブ | 情報不足(国) |
陸産貝類 | |
ヒラベッコウガイ | 情報不足(国) |
オオウエキビ | 情報不足(国) |
ヒメカサキビ | 準絶滅危惧(国) |
*国:環境省レッドリスト.県:岐阜県レッドリスト.町:御嵩町レッドデータブック.