会長からのメッセージ -その15-
「追悼:伊藤嘉昭さん」
悲しい知らせが届きました.功労賞を受賞された伊藤嘉昭さんが5月15日(2015年)に逝去されました.
伊藤さんは1930年にお生まれになり,東京農専(現東京農工大)を卒業後,農林省農業技術研究所,沖縄県農業試験場勤務をへて,1978年に名古屋大学農学部助教授に就任され(1988年から教授),定年退職後,1993年から2000年まで沖縄大学の教授を務められました.名著「比較生態学」(1959年,岩波書店)をはじめ多くの著作を上梓され,活発な学会活動で日本の生態学を牽引されました.
日本生態学会は,「生態学,特に動物生態学,個体群生態学,社会生物学,行動生態学,進化生態学の分野の研究を行い,また教科書の執筆,翻訳を通じて,生態学と日本生態学会の発展に大きく貢献された」として,2003年に第1回功労賞を伊藤さんに贈りました.
このように紹介すると「先生」と尊称とするのが当然でしょうし,私個人も先生と呼ぶべき激励や叱咤をたくさんいただいてきたのですが,普段と同じように伊藤さんと書かないと言葉が出てきません.
私たちの世代は大学院生の時,伊藤さんの著作で生態学の基礎を身につけました.私は動物の生活史と個体数変動の関係を論じた「比較生態学」に強く影響されました.ほんとうに素晴らし内容で,読んでいるときに鳥肌が立った感激をいまでも思い返すことができます.初めて読んだ時はどんな大家が著したものだろうと想像していたのですが,後に,伊藤さんが29歳の年に出版したもので,その原稿は「メーデー事件」に巻き込まれて休職中に書かれたものであったこと(詳しくは伊藤さんの自伝「楽しき挑戦」,海游舎を読んでください)を知り,改めて感動しました.伊藤さんはこの本の執筆のために約2000本の論文を読み込んだそうです.この勉強のお陰で,その後10年は論文を書くときに引用文献探しに困らなかった,とおっしゃっていました.
伊藤さんはこの著書のことで大きな失敗をしたと述べています.それは,オーストラリアの友人に「比較生態学」の内容を説明したとき,英語版の出版を勧められたが,実現できなかったことです.「英訳を一度始めたのに,なぜかやめてしまった」,「『多忙+さぼり』だと思う」と悔いておられます.その後,改訂版をもとに1978年に英語版を出版されましたが,時期を逃した,とおっしゃっていました.この「失敗」がよほど悔しかったのでしょう,「30代で英語の本を書け」と私たちを何度も叱咤してくださいました.(伊藤さん,ごめんなさい.私はまだ英語の本格的な本を書けないでいます)
伊藤さんと個人的に親しくさせていただくきっかけは,藤崎憲治さんと3人で,「動物たちの生き残り戦略」(1990年,NHKブックス)を書かせていただいたことでした.伊藤さんは,桐谷圭治さんと共著で「動物の数は何できまるか」を1971年に出版されていました(NHKブックス).この本で野ねずみの個体数の問題も丁寧に取り上げていただいており,1980年代前半に大学院生活を過ごし,エゾヤチネズミを調べていた私には,視野を広げる格好の参考書でした.しかし,1980年代後半になるとその内容は急速に古び,改訂する必要があるだろうと私は勝手に思っていました.そんな時に伊藤さんから突然電話があり,共著者として大改訂に加わるよう,誘っていただきました.(嬉しかった)共著者3人が定山渓の宿に缶詰となって,原稿の仕上げに取り組んだ合宿が懐かしく思い出されます.
私は当時,林野庁の付属研究機関である森林総合研究所(現在は国立研究開発法人)に勤めており,お役所的な職場の体質に息苦しさを感じていました.当時の研究所では,林野庁の方を向いて,研究とは言えないような林業試験を繰り返すことが普通で,エゾヤチネズミの生活史と個体数変動の関係を中心に研究を進めたかった私には,フラストレーションがたまることがしばしばでした.そんな時,伊藤さんの「もっとも基礎的なものがもっとも役に立つ」という言葉に何度も勇気づけられました.
また,1990年の8月に日本生態学会が横浜で第5回国際生態学会議(V INTECOL)を開催した時,伊藤さんは,プログラム委員を務められていたと思います(公式の役職は確認できませんが).伊藤さんは,個体数変動に関するシンポジウムの枠を1つ用意してくださり,「好きなようにやれ」と私にオーガナイズを任せてくれました.私はその時34歳でしたが,国際会議のシンポジウムでの発表経験すらなく,オーガナイズの方法について予備知識は全くありませんでした.当時はこのようなことは普通で,若手にシンポのオーガナイズや雑誌の特集を丸投げし,背伸びをさせて育てていました.私はこのシンポジウムをきっかけに研究仲間を増やし,今も続くオスロ大学との共同研究を始めることができました.
伊藤さんは,論文を書くことに強烈なこだわりをもっていらっしゃいました.結果の安定性に自信が持てず,調査を重ねてから論文にしようかと迷っているときには,「おもしろい結果ならすぐに論文にしろ.間違っていたら,(前の自著を批判的に取りあげる)もう一本の論文を書けるじゃないか」とおっしゃっていました(あまりお勧めしませんが).「研究したことはすぐに論文に書くクセをつけていて,調査したのに発表しなかったデータがほとんどない」と自伝で語られています.また,大学院生には,「勉強をするな,論文を書け」と言っていたそうです.それ以上勉強する必要のない伊藤さんならではの言葉だと思います.「常に in press がある」,「学会でも必ず発表をする」研究姿勢には頭が下がりました.
私たちは伊藤さんから多くのものいただきました.伊藤さんが私たちに残してくださったものを少しでも次世代に伝えていきたいと思います.
ご冥福を祈ります.
2015年5月19日 会長 齊藤 隆